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2024.09.27 ベレーザ

Beleza Player's Column #2

選んだ方を正解にする

「人生は選択の連続である」というのはシェイクスピアの言葉なのだそうだ。「人生」という大きな話でなくとも、日々多くの選択をしている。

 

髪型だってその1つだ。

 

ベレーザへの移籍リリースに添付されていた写真と始動日の印象は違い、今季のリーグ開幕戦となった三菱重工浦和レッズレディース戦でも、突如金髪から黒髪にチェンジし、また印象が変わった。

 

「1ヶ月に1回ぐらい美容室行くのですが、『次どうしようかな』といろいろ髪型を考えるのを楽しんでいます。服とかは全然冒険したくないんですけど、髪型に関しては冒険しちゃうかもしれないですね。でも、まだホームで1試合しかやってなかったから、金から黒にするタイミングを迷っていて。誰?ってなるのも嫌だなと思ったんですけど。次にどうなっているのか、ファン・サポーターの皆さんに楽しんでもらえたら良いですけど、覚えてもらえるかなという不安はあります(笑)」

 

余談だが、三浦紗津紀は6人きょうだいという大家族で育った。「聞かれることがなかったから…」と、これまで特別明かすこともなかったという。

 

「賑やかでしたよ。ご飯のときもそうですし、基本的に大人数で移動したり。楽しいは楽しいですけど、小さいときは嫌でしたね。お年玉は少ないですし、なんやかんやで色々なものが6分の1になるから。その中でも自分はサッカーをやっていて、送迎とかもあったので、親を独り占めしていた感じがあって、恨まれているのかもしれないと思ったり。喧嘩もしょっちゅうでしたよ」

 

多くの人が経験していない、大家族で育ったからこそ培ったものがあるのではないか?そんな興味も湧く。

 

「みんなの中で生きていく術は何となくわきまえていて、個性出しつつ、でも浮かないっていうか。バランスを取るのは得意かなと思います」

 

その話を聞いて、思わず膝を打つ。「個性を出しつつ、でも浮かない」。その感覚が、髪型につながっているように見えてならない。金髪で個性を出して、さっと黒に戻す。そんなバランス感覚も見えてくる。

 

さて、そんな彼女がいかにしてサッカー選手になったのか。経歴を紐解いてもらっている最中、彼女はこんなことを言った。

 

「改めて振り返ったら、全部『たまたま』なんです」

 

6人きょうだいは、自由な育てられ方をしてきたそうだ。中には薬剤師になったもの、美術に興味を持つもの、航空関係に興味を持つものとスポーツ一家では決してなかったという。ただ、野球が大好きな親の影響でキャッチボールを楽しみ、小学校1年生から野球クラブに入る。だが、人数も少なく、実際に試合をしたのは数試合。すぐに潰れてしまった。そこで「たまたま」友人に誘われ地域のサッカークラブに入った。最初は野球に未練を残しつつだったが、これがサッカーとの出会いだった。

 

だが、小学校6年生で転校することになる。ここで祖母の提案でゴルフを始めることになった。

 

「引っ越して、小学校の残り1年間だけ少年団とかに入るのはちょっとなぁと思っていて。そうしたらおばあちゃんに、『じゃーゴルフやってみれば』って。どうしようかなと思ったのですが、先に全部揃えられてしまい、スクールにも入れられたので…。打ちっぱなしとかをやって、ひたすらスイングだけ。走り回ることはないじゃないですか。だからつまらなくて。1年は頑張りましたけど、ゴルフの才能はないなと」

 

それでもサッカーを始めるきっかけとなった友人が、またしてもサッカーへの道に戻してくれた。

 

「その友達がメニーナのセレクションを受けにいこうって誘ってくれたんです。でも二人とも落ちちゃって、じゃー次はってことでレッズに受けにいきました。結局、友達は落ちちゃったんですけど、『たまたま』自分だけが受かっちゃって」

 

ジュニアユースでは現在ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンWFCで活躍する清家貴子と同期。ともにセンターバックを組んでいたこともあったという。しかし、当時の清家はディフェンスで花が咲くことはなくFWに転向。そして三浦本人も競争の激しいユースでは出番も少なく、トップ昇格を果たすことができなかった。

 

「その時、サッカーは違うかなと。でも大学をどうしようかなと考えた時に、当時慶応は強豪という感じではないけど、頑張るという感じだったので、そこに入れたら良いかなって。でも、それに落ちちゃって…。それで早稲田を受けたのですが、ちょっと強すぎるから、試合には出られないだろうなと」

 

そんな不安もあり、早稲田に合格したものの「入部するかどうかも迷った」が、結局大学側から「いつから来れますか?」という連絡が入り渋々入部することになった。

 

「フィジカルも重視するし、やっぱり全国から上手い人が集まるところだったから、最初は全然スタメンとかじゃなかったんですけど、最初のプレシーズンの大会で、『たまたま』センターバックにケガ人が出て、じゃー行け!って言われて」

 

謙遜も入っているだろうが、そんなスタートから全日本大学女子サッカー選手権大会(インカレ)3連覇、2年時の2016年大会では最優秀選手にも輝いている。4連覇のかかった4年時、そのインカレを前に書いた文章が今もインターネット上に残っている。

 

「私は今まで流れに任せたり、誰かに言われるように選択をしてきました。それは別に意思がないわけではなくて、自分のする選択に覚悟や自信を持てませんでした。きっと自分の選択に言い訳を作ろうとしていたんだと思います」

 

と「たまたま」が続いてきたサッカー人生を振り返る。そして、こう続けている。

 

「なぜ『選択』とわざわざいっているのかというと、自分に起こる出来事は、自分の選択した結果だと考えるようになったからです。運命でも偶然でもなく、あくまでも今までの選択の積み重ね。選んだからそうなったのです。だからこそどんなことが起きても受け入れて、

また選択を重ねていく。そして自分で選択をするときには覚悟が必要です。その道を自分の正解にするという。決して人のせいにはできなくなります」

https://www.waseda-afc.jp/diary-women/83209 より引用)

 

インカレ4連覇は叶わなかったが大学卒業後、INAC神戸レオネッサに加入。1年目になでしこ1部リーグ新人賞を獲得した。傍から見れば、順風満帆のサッカー人生。だが、周囲の評価と自らの手応えとのギャップに苦しみ、素直に喜べなかったという。

 

「自分に何ができるか、これが通用したとかは全く無い1年で、本当に悔しい1年でした。もう何もできないんじゃないかって、すごく自信を失ってしまって」

 

「たまたま獲れた」という新人賞。だが、今回の「たまたま」は良い方向には転ばなかった。失意の中で、移籍を決意。大学時代からオファーがあったアルビレックス新潟レディーズへの加入が決まった。これまでのサッカー人生で初めて、自ら選び取った決断だった。

 

新潟Lに移籍後、なでしこ1部リーグを含め、ほぼ全試合に出場し、チームの主力として成長。昨季はベレーザと対戦し、ゴールも決めている。新潟Lでのキャリアに順調だった。

 

「チームの核になってほしいということを言われましたし、またベテランとして若い選手も育ててほしいという話もしました。でも、ベレーザからのオファーが届いたとき、どう成長したいかということを自分に問いましたね。チームで成し遂げたいことがあるか、選手として上手くなりたいのかとか。でも、ベレーザと対戦して、こんな上手い人たちがいるんだというのを感じていました。上手い人たちと練習の中で刺激を受けられるというのは得難い経験だなって。チャレンジしない後悔はしたくないなと」

 

今季、チームの始動からもうすぐ3ヶ月になる。

 

2024-25 SOMPO WEリーグ 第1節 三菱重工浦和レッズレディース戦。古巣対決となった試合は、先発出場を果たすも、出場時間はわずか41分で終わった。

 

「このチームで浦和とどう戦うのかっていうのをあんまりイメージが持てていない中でピッチに立ってしまったので、ビビってしまって。消極的じゃないんですけど、自分はやられないサッカーをしてしまったなと思います。どんどん前から来て、相手がヘッドダウンして選択ができなくなってくる。対戦した時に感じたベレーザってそういうサッカーだったよなって、それを思い出しました。敗戦はもちろん大きいですけど、教訓になりました」

 

誰のせいにするわけでもなく、自分自身と向き合う。その選択に覚悟を持ってやって来たのだから。彼女のチャレンジは始まったばかり。この選択を正解にするため、ベレーザのサッカーを吸収しようと日々奮闘している。

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