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「ヴェルディを勝たせます!」
2024年1月14日『新体制発表会見』。山田楓喜が東京ヴェルディに来て一番最初に発した言葉だ。
京都サンガF.C.在籍時からパリ五輪代表候補の一人であったミッドフォールダー(MF)のこの強気な発言は、瞬く間に多くのヴェルディのファン・サポーターの心を掴んだ。
「自信がないと、こういう発言はできないと思います。自分に自信を持っているからこそ、こうして移籍してきましたし、勝たせる準備はしてきているので。
ヴェルディは今年J1に上がったクラブの中で一番勢いがあるチームだと思います。その勢いに自分が乗っかっていけば、J1で旋風をもたらせられるチームになる。今年一番サプライズを届けられるのはヴェルディだと思うので、そこに魅力を感じてヴェルディに来ました」
これほどの自信と希望を胸に、覚悟をもって“移籍”という挑戦を決意した山田楓の存在は、「サプライズをもたらしたい」と意気込みを語った城福浩監督の下、16年ぶりにJ1に挑むチームにとって非常に頼もしく、明るい未来を想像させてくれた。
そして実際、新背番号『18』の活躍はめざましいものとなっている。
移籍交渉の席での城福監督との対話で、「(城福監督は)自分が今までやってきたこと、例えばサッカーへの情熱だったり、取り組む姿勢などにガッチリとハマる方だなと思いました」。プレースタイル的にも、「今のヴェルディのサッカーやったら、自分を最大限に生かせる」という“直感”が正しかったことを、ここに来て、本人もあらためて実感している。
ヴェルディに加入してから9ヶ月。「今振り返ったら一瞬でしたけど、山あり谷ありで、他の人では経験できひんような、いろいろなことを経験したなぁと思いますし、自分が一番成長したっていうのを実感しています。キャリアの中でも、一番成長できたシーズンやったかなと思っています」
思えば、2024シーズンのチーム最初のゴールが山田楓だった。開幕戦(横浜F・マリノス戦@国立競技場)、最大の武器である直接フリーキックをゴール右上角に鋭く突き刺し、存在感を猛アピールした。
アジアカップでは、決勝戦で後半アディショナルタイムにゴールを決め、U-23日本代表を優勝に導いた。
そして、念願のパリオリンピックへの出場を果たした。
まさに山田楓にとって2024年は実に濃厚な一年となっている。
その中で、最も印象に残っていることとは何だろうか。
「世間の人からしたら、開幕戦のゴールとか、アジアカップの決勝ゴールとかって言うと思うのですが、もちろん、そうした試合のイメージは僕の中でもめちゃめちゃ残ってはいます。けど、日々の練習の方が、なんか自分にとっては一番印象に残っているんですよね。他の選手からもいろいろ吸収できてるなって思える毎日の練習が、僕にとってはすごく大きいので」
ここまでリーグ戦20試合出場、5ゴールという、いずれもキャリアハイの成績につながっていることが、その「毎日の練習」から得られる成長への手応えなのである。
「もちろん数字を残すためにヴェルディに来た中で、もっと得点に絡めたかなと思いつつも、それ以外の部分でチームを助けられていることの方が多いなというのは自分でも感じています。その目に見えへんところでの自分の働き、影響を与えられているところは、自分でもプラスに捉えています。
でも、『勝たせます』と言った以上は、まだ残り試合もあるので、ゴールやアシストなど目に見える結果でもっと取りたいなっていう気持ちも、もちろんあります」
山田楓の加入によって、『直接FK』からのダイレクトゴールに楽しみを見出しているヴェルディのファン・サポーターも増えたのではないだろうか。そのキックの精度は、京都サンガF.C.U-18時代のコーチだった美尾敦コーチ、京都サンガF.C.在籍時には大前元紀選手とともに磨き上げてきたものだという。
止まったボールを、誰にも邪魔されることなく、自分のペースで蹴ることができる。キックの質の高さを証明できる。そんなFKの魅力を、23歳MFは次のように語る。
「ペナルティエリアの近くとか、直接狙えるところでファウルを受けたら、明らかに周りが期待しているのがわかる雰囲気になる。その期待感は他のチームにはないと思います。自分がいるからこそああいう空気感になって、プラス、そういう期待感に後押しされてゴールが生まれているというのもあると思いますね。そうやって、FKという1つの特技で、観ている人をワクワクさせられる選手になれているなという喜びはあります。
それに、どれだけその試合の中のオンプレー中に何もできていなかったとしても、FKって、試合をガラッと変えちゃう場面でもある。その飛び道具を持っているというのは、すごく大いなと思います。だからこそ、これからも磨き続けていきたいです」
東京での生活にもすっかり慣れた。ヴェルディというチームも、「最初はもっと堅苦しいイメージだったのですが、全くそんなことなくて。なんなら、これまでの中で一番ホーム感を感じているぐらい、アットホームなチーム。めちゃくちゃ居心地がいいです」と、充実した日々を送っている。
とはいえ、ここに至るまで、決して平坦な日々ではなかった。
アジアカップ優勝という、これまでの人生で味わったことのない緊張感と、その中で成し遂げられた大きな功績を経験した直後、日常に戻ることの難しさに直面した。帰国後すぐにリーグ戦に復帰したが、3試合に出場したところで、練習も含め、チームを完全に離脱することが決まった。
山田楓はあらためて当時を振り返る。
「アジアカップから帰ってきてちょっとした達成感があった中で、いきなり見られ方も変わったし、正直、自分の中ではほんまはちょっと休んで一息つきたかったんやろうけど、すぐにリーグ戦もあるしという、そういういろいろな要素が重なって、どんどんどんどん体がしんどくなってきて。それで、その体がしんどくなってきたと同時に、気持ち的な部分もどんどん落ちていってしまいました。なので、何が辛かった?と言ったら、『これ』というのはパッと出てこないのですが、そういう変なプレッシャーみたいなものを、自分では気づかないところで感じていたのかなというのは、今になって思いますね。
そのプレッシャーも、アジアカップ前の自分か、今の自分の状態やったら楽しめるマインドを持っているんですけど、あの時期だけは、達成した直後や疲れもあって、ちょっとそういうマインドになれなかったなのかなと。でも、あの経験をできたことで逆に成長したなって、今ではちゃんと思えますね」
第16節から18節を欠場したのち、6月18日にチームの全体練習に完全合流したが、その人生で最も辛かった時期に一番そばにいて、支えてくれたのが、今年8月12日に結婚を発表した愛妻だった。
「あの時期、多分僕一人やったら、マジでしんどかったと思うし、彼女がいなかったら、もっと実家に引きこもって、復帰するにも時間がかかっていたと思います。ほんま、あの時に(彼女が)いてくれたから、喋り相手にもなったし、いろいろな話を聞いてくれたことで、本当に救われました。それまでも常に支えてくれていますが、僕の一番つらい時期を支えてくれたというのが、より大きかったです。
おととしぐらいから付き合い始めて、今回移籍するタイミングで『一緒についてきてほしい』と伝えて。彼女も仕事を辞めて、覚悟を持ってついてきてくれたんです。なので、もともと結婚するつもりだったのですが、あらためて、そんな彼女への責任を自分がしっかりともたないとと思って、五輪が終わってひと段落したタイミングで結婚しました」
二人で乗り越えた先に待っていたのが、パリ五輪だった。アジア杯後の心身の不調もあり、メンバー入りは果たすことができなかった。だが、これも山田楓の持ち運だろう。“バックアップメンバー”としてチームに帯同すると、負傷離脱選手が出たことで本戦メンバーにも選ばれ、パリ五輪の舞台に立った。
「一度は諦めた五輪やったので、他の人とはまた違う喜びと、あっちに行って感じた悔しさというものは、他の選手とはまた違った感情やと思います。それを、あの場で感じられたというのは、これからの人生にとってすごくプラスになると思いますし、今の自分にもものすごく生きているという実感があります」
クラブにとっても、“東京ヴェルディ”の所属選手として山田楓が世界の舞台に立ってくれたことはかけがえのない大きな価値があった。
「でも、逆に言えば、僕はヴェルディに来てなかったら、たぶん五輪には出られていなかったと思います。
移籍という形で環境を変えたことで、自分もより成長意欲が高まったことは間違いありません。そのなかで、新しい環境の中で、いろいろな選手を見ながら、それぞれの良さや、日々の練習の中で学ぶべき要素を意識して吸収しながら成長できたことと、試合に出続けられたおかげで、五輪にも出場できたんやなと実感しています」
あらためて山田楓はクラブや監督・コーチングスタッフ、チームメイトたちに感謝してやまない。
ただ一方で、自身の成長や充実感に関しては、“ヴェルディ”という環境を神化するのとはまた違う。「ヴェルディに来たから、というのではなく、どこにいても、一年一年、自分なりにやるべきことはやってきましたし、どんなに試合に出られなくても、充実感のない年は一年もないです」ときっぱり。その、環境に左右されない芯の強さこそが、山田楓の最大の強みといえよう。
その一側面の象徴として、決して堅苦しく縛りつけていることはないが、「日常がルーティーン」だという。「もう、ほぼ毎日同じことの繰り返し。起きる時間も寝る時間も、なんなら食べるものも大体きまっています。“徹底”というよりも、“そっちの方が楽”という感じ。でも、甘いものも食べたくなったらぜんぜん食べますよ」
スタメンで出た際の、キックオフ前の円陣ダッシュ、両足を大きく広げて股割り、両掌を合わせて目を瞑って行う「深呼吸」も、自らを鼓舞するための大事なルーティーンだ。
現在23歳。山田楓が思い描く未来像は、見果てぬほど大きい。
「日本代表に入って、ワールドカップに出て、海外のチームに行って、世界で活躍するというのはもちろん大前提ですが、そうした何年か先の夢とかではなくて、どんな小さなことでもいいから、毎日『成長できたな』という実感を得られるように目の前の練習に取り組むというのが、僕の一番の選手としての理想像です。
それと、人間性としては、子供から憧れられる人、選手になりたい。僕は、小さい頃にサッカーを見て、玉田圭司さんに憧れて、ずっと見ていました。そんなふうに、誰か一人でもいい。子供の夢になりたいなというのはありますね。プロサッカー選手である以上、そういう存在になれる立場に自分もいると思うので、『楓喜マスク』のゴールパフォーマンスや、子供とのハイタッチでちょっと目線を近くしたり、エスコートキッズの時にこっちから話しかけたり。昔、自分が『いいな』と思ったりして与えられてきた夢を、次は自分が子供たちに与えていきたいなと思っています」
笑ったって 泣いたって 苦しくたっても
きっときっと明日はやってくるって そう信じたい
そんな歌詞ではじまる、Bigfumi(ビッグフミ)さんの『ライフ』を聴いて、毎試合、スタジアムに到着したバスから降りる。
今日もまた、誰かの夢になれるように。自分磨きの日々は限りなく続いていく。
<深堀り!>
Q:山田楓選手は、強気な発言や自信に満ちている発言が多いですが、元々そうしたポジティブ思考の性格なのですか?それとも、“言霊”ではないですが、強気な発言をすることで、ご自身に言い聞かせている部分もあるのですか?
A:
いや、全然ですよ。マジでメンタルも弱かったですし、ポジティブに捉えることはあんまりできなかったです。
それが、そういうマインドに変われたのは、プロ2年目が一番大きな影響ですね。
1年目は、試合も出られずに、今思うと、正直、腐っていた感じでした。でも、2年目にクラブ(京都)の体制が変わった時に、コーチで来た長澤徹さんと出会ってから、全てが変わりました。サッカーに対する姿勢もですし、食事とかにも気を使い出したのもその時からです。とにかく『サッカーのための生活』をするようになったので、人生が全く変わりました。ほんまに。実際の成績としては、2年目も試合には出ていません。でも、その2021年が、最も充実感があって楽しかった一年です。あの一年がなかったら、多分今の自分もないと思う。本当に自分のサッカー人生において一番変化した、大きな年だったなと思います。
そして、もうめちゃくちゃ自分に言い聞かせていましたよ!(笑)マジで。プロに入ってからも、まずは練習。特に最初は質よりも、とにかく量なので。もうとにかく徹底的に量をこなして、ずっと練習していました。それで、やっと次の年(2022年)にパッと試合に出るチャンスが来て。その時に、「俺、これだけ練習やってきたんやから、絶対に大丈夫や」というマインドになれたのも、そう自分に言い聞かせられるだけの量をこなしてきたからなので。その大事さは、今でも一番感じますね。とにかく練習です!
(文 上岡真里江・スポーツライター/写真 近藤篤)
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