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2020.09.04

緑の十八番 福村貴幸選手編

マッチデイプログラム企画『緑の十八番』

 

福村貴幸 選手

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

一般的に『サイドバック』と表されるポジションを、永井秀樹監督は『サイドアタッカー』と独自の呼称で呼ぶ。「僕のサッカーの中では、サイドアタッカーは得点王もアシスト王も狙えるポジション」。その言葉には、DFでありながら“アタッカー”と名づけられる所以のすべてが込められており、その位置で起用される選手には、守備力に加え、高い攻撃センスが求められる。

 

その中で、メキメキと頭角を現しているのが福村貴幸だ。『左足のパス』が自慢の新加入レフティーは現在、リーグトップのアシスト数を誇る。

ガイナーレ鳥取でプレーしていた昨季も9アシストを記録し、J3リーグのアシスト王に輝いた。しかし、アシスト、特にクロスボールにこだわりを持つようになったのは、意外にも「去年から」だったという。プロ選手生命を懸けて迎えたキャリア10年目、J3クラブへの移籍、「このままではダメや」と初めて自分自身と真剣に向き合った。

 

どうしたら生き残れるか。「自分ができることってなんや?」と突き詰めた結果、辿り着いたのは『左足のキック』と「斜め45度からのフリーキック」だった。フリーキックは京都サンガF.C.時代に身につけた武器である。

 

「京都に入団して2、3年目の頃に、左利きのキッカーがいなくて、セットプレーのキッカーを任されることが多かったんです。そこで思うようなボールを蹴れず、悔しくて居残りで練習しました」

 

ただ、セットプレーのキッカーだけでは、これまでの自分と大きく変わらない。新たな伸びしろとして見つけたのが、得意の左足を生かしたクロスボールだった。“アシスト”という、ゴールやチームの勝利に直結する結果を示すことが、最良の手段だと思い至った。

 

やるべきことが見つかれば、あとは没頭するだけ。「『こうやってみよう』と思ったことをまず試して、それが上手くいかなかったら、『じゃあ次はこうしてみよう』というのを、何度も、何度も試しました。足のどの辺に当てれば思いどおりのボールが入れられるのか、どの辺を狙えば効果的か、深く考えるようになりましたね」

 

「去年まではそんなに考えてプレーしていなかった」と、きまりが悪そうに苦笑するが、初めてちゃんと考えてプレーした結果、急激に成長し、アシスト王という成果も表れた。

 

クロスに対するこだわりは誰よりも強い。狙っているのは常に『GKとDFの間』で、供給するボールの質にも優先順位がある。「ファーストチョイスは、速くて低いボールです。それがダメでも選択肢の二番、三番ぐらいまではゴロを狙っていますね。ゴロも無理やったら、浮かすというのが自分の中の順番です」。“ゴロ球”を優先する考え方も去年からの変化だと明かす。

 

「クロスって、僕の中では昔から “浮き球”のイメージがありましたし、世間的にもそうやと思うのですが、そのイメージから変えてみました。『クロスもパスのひとつ』と考えたら、FWの選手にどれだけ速くボールを届けられるか、いかにシュートを打ちやすいボールを供給できるかが大事だし、『低くて速いゴロのボールが一番決めやすいのかな』と思ったんです」

 

これまで深く考えてこなかったことを追求してみることで、勝手に『当然』と決めつけていたことをもう一度見直して、発想を転換することができた。

 

もうひとつ、福村のプレースタイルに大きな影響を与えたのが、元スペイン代表MFヘスス・ナバス(セビージャFC)だ。2年前、当時のチームメイトだったシシーニョ(現愛媛FC)と彼の故郷スペインに遊びに行った際、セビージャの試合を生観戦した。

 

「右サイドの選手で、クロスが上手いうえに、ものすごく上下動がある。特別すごい技術があるわけではないのに、何がこんなにも違うのかな? と僕なりに考えました。そこから、『走る』ということがものすごく大事だと思うようになりましたし、ただ走るのではなく、スペースに走る、フリーでクロスを上げられるところに走るのが大切なんやなと。技術以外にも大切なものがあると気づきました」

 

それまで、誰かの影響を受けたことなどなかったが、ナバスのプレーを見て受けた衝撃は、今でも決して忘れることはない。キックの質と同時に「走って闘える」ことも、福村が目指す理想の選手像だ。

 

「今年ダメやったら、サッカー選手を辞める」。危機感を募らせ、腹を括って挑んだ鳥取での1年間は、福村をサッカー選手としてだけでなく、人間的にも成長させた。そして2018年シーズン終了後、契約満了でFC岐阜を退団した福村を救ってくれたのが、大木武監督体制下の京都で2011年から2013年まで福村を指導した高木理己コーチ(現ガイナーレ鳥取監督)だ。あらためてキャリアを振り返ると、大木監督と高木コーチの指導を受けていた京都時代は、福村が充実のシーズンを過ごし、大きく成長した時期でもある。

 

その後、2017年に再び大木監督が率いる岐阜でプレーし、のちに鳥取へ移籍。そこでの活躍が永井監督の目にとまり、「尊敬する大木さんの下でじっくり経験を積んだ選手」という評価とともに東京ヴェルディへ加入した。

 

「縁やつながりがいかに大切か、改めて感じています。大木さんとの縁がなかったら、こうしてヴェルディに来ることもなかった。J3の選手がJ2のクラブに引き抜いてもらえるなんて、大木さんにも、高木さんにも、永井さんにも、ヴェルディにも、感謝しかないです」

 

感謝の思いを抱いて送る毎日が、充実していないわけがない。恩師・大木監督以上に戦術に強いこだわりを持つ永井監督のサッカーは、「マニアックやなぁー」と思いつつも、楽しくてたまらない。テクニックとサッカーIQ、個性を併せ持つチームメイトやコーチングスタッフと新しいアイデアを創り出していくことで、日々学びがあることも実感している。

 

「昔の自分はすごく子どもやったなと思いますし、もっともっと大人の考え方ができていれば、違う道もあったんじゃないかなと正直思います。でも、これはこれで自分の人生。今のところ後悔はないです」

 

自ら突き詰めてきた“アシスト”が、永井監督から求められる最大の役割のひとつであることが、モチベーションをさらに高めている。福村にとっての理想のアシストは、ゴールを決めた選手に「自分は触るだけでした。ほぼ、出してくれた福村選手のゴールです」と言われること。だからフリーキックも、直接ゴールを狙うよりも、「相手が触れそうで触れなくて、味方が触れるボールが蹴れた時が一番気持ちいい」という。

 

「芝を舐めるような、サーーーっと滑っていくボールが100点満点のボールかな」。サポーターに対しては、そんな「クロスボールの質」をぜひ楽しんでもらいたいと胸を張る。

 

チームに欠かせない得点源になった福村が掲げる目標は、「“とりあえず”キャリア最多の10アシスト」。すでに7アシストを記録しているだけに、早々に達成し、すぐに上方修正することになるだろう。その数が伸びれば伸びるほど、ヴェルディのサッカーは強く、面白く、魅力的になっていく。