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2020.05.26

YOUTHFUL DAYS~日テレ・東京ヴェルディベレーザ編~【前編】

多くの日本女子代表選手が輩出してきた、日テレ・東京ヴェルディベレーザのアカデミー。メニーナ、そして2012年立ち上げのセリアス。所属選手のアカデミー時代を、秘蔵写真と思い出コメントで振り返ります。

 

■中里優選手(2007〜11年)

  

  

日テレ・メニーナの時は、人工芝グラウンドの奥の崖のような場所の一番上から叫ばされたのが一番記憶に残ってます!
なぜかと言うと、その日の試合ですごく怒られて、反省と今後の抱負みたいなことだった気がします。
あとは、同じ場所で校歌を歌わせられたこともありました(笑)。

 

■村松智子選手(2007〜11年)

  

  

メニーナ時代の思い出はありすぎますが、走りのトレーニングがとにかくキツかったです。連帯責任のメニューも多くて…。
ですが、みんなでクリアして喜んだり達成感、充実感は半端なかったです!!!
私が高校1年生の時、史上最弱と言われていたけど冬の全国で優勝したのがとても嬉しかったです!
夏の2部練で昼休みにみんなで狭い部室で寝たのもいい思い出です。

 

■籾木結花選手(2009〜14年)

  

  

メニーナに入ってからの1年目、2年目は衝撃の連続でした。
崖をよじ登ったところから叫ぶ、とにかく走る、そしてただ勝つだけではダメ。
そういう厳しい中でも仲間達と助け合い、乗り越えてきたからこそ全国大会で優勝した時はめちゃくちゃ嬉しかったですし、その仲間とは特別な絆がある気がします。
一番嬉しかったのは、寺さん(現・東京ヴェルディアカデミーダイレクター)がガッツポーズをしているのを見た時かも!史上最弱と言われたチームが早稲田大学に10人で勝ち越した時の寺さんのガッツポーズは忘れられません!
本当にメニーナで良かったな〜。

 

■土光真代選手(2009〜14年)

  

  

中学1年のマリーゼフェスタが終わって、帰る時にカメラのネジがないことに気付いて、全員でJヴィレッジ中を探し回ったけどなくて、ベレーザの選手を待たせちゃったから一人ずつ謝ってバスに乗ったこと。

 

■清水梨紗選手(2009〜14年)

  

  

私が中学生の頃に『ベレーザVSメニーナ』の小さめのコートでのミニゲームがあって、ベレーザの選手たちはタッチ制限、人数を少なくするなどのハンデがあったけど、メニーナの選手は全然ボールに触ることができず、ずっと犬にみたいにボールを追いかけていました(笑)。
その時にベレーザの選手の上手さにびっくりして、ここまで上手くならないとベレーザには入れないんだと思った記憶があります!!他のエピソードは高校2年生の頃、ものすごくきつい練習があって、その練習中に誰かさぼっている選手がいたら自分と唯がグランドの周りを走るということがありました。その時は合計でグランド20周ぐらい走ったと思います。

 

■長谷川唯選手(2009〜14年)

  

  

高校1年生の時、試合内容が悪くて、試合後にみんなでゴール裏の石を登って、上のフェンスを触って戻ってくるのを何本もやったこと。
膝にすり傷ができて、その日の夜お風呂で痛かったです。

 

■三浦成美選手(2010〜15年)

  

  

メニーナ時代は、思い出がありすぎます。
印象に残っているのは、練習にマーカーを忘れて10周走した後に、ビブスがないことにも気づき、追加でもう10周走った日です。早めにゴールした自分とゆいさん(長谷川唯)と2人で、「ねぇビブスもないんだけど」って地獄を見たような顔で話したのを覚えています(笑)。きつい事もたくさんあったけど、メニーナ時代がなかったら今の自分はないと思うので、寺さん(現:寺谷アカデミーダイレクター)とメニーナの仲間にはとても感謝しています。
他にも沢山エピソードはあるけど、またの機会にします!

 

■宮川麻都選手(2010〜15年)

  

  

練習の時に、マーカーをグランドに準備していなくて、罰則として10周走って、走り終わってホッとしてたら、ビブスも準備してない事に気付き、また10周走り、、練習前に20周も走りました!
今思うと、マーカーもビブスもグランドに持っていかないなんて、信じられません。

 

■原衣吹選手(2010〜15年)

  

  

メニーナ時代に印象に残っているのはやはりたくさん走ったことですね(笑)。
特に、夏の藤枝遠征でプレーが悪く、前半15分くらいで交代して、学校の周りを試合が終わるまで走ったことが一番の思い出です。
私の後に麻都と真子さん(現:ノジマステラ神奈川相模原)も来て、3人でずっとぐるぐる走っていました。
試合後も、むきになって俊さん(現:ちふれASエルフェン埼玉 GM)の運転するバスに乗らず、走って宿舎まで帰ったことも今となってはいい思い出です。