翁長聖の人生訓とヴェルディにもたらしているものとは―。
Player's Column
「翁長聖の人生訓とヴェルディにもたらしているものとは―。」
“直感”。それが、今季から加入した翁長聖の東京ヴェルディへの移籍決断理由だ。はたして、何を求めての“直感”だったのだろうか。
「自分の感覚なんで、特にここがどうとかじゃなくて。なんて言えばいいんやろ… 自分でもパッと思ったんですよ」
その、表現の難しい“感覚”の一端を、翁長は曖昧にせずにきちんと言葉にする。
「僕、長い年月同じチームにいると、そのチームに、良い意味でも悪い意味でも慣れるのが昔から嫌いで。選手やったりクラブスタッフと仲良くなるのはいいんですけど、なんか、馴れ合いみたいになってしまうのが嫌で。これは性格的なものやと思いますけど、心地よくサッカーするのも大事やけど、仲良くなればなるほど、気を使って、自分に対して厳しいことを言ってもらえなくなるじゃないですか。なので、甘えとか、その水に馴れるというのがあんまり好きじゃないというか。まぁ、この先はわからないですけど、少なくとも今まではそうやって思って動いていたので、今回もそれが(移籍理由の1つとして)あったのかもしれないです」
実際、2017年にV・ファーレン長崎でプロキャリアをスタートし、2020年に大宮アルディージャへ、2022年からFC町田ゼルビアへと2〜3年ペースで所属クラブを移してきた。「長崎から大宮に動いてみて、意外に移籍も悪くないなと感じた」ことが、そのスタンスに大きな影響を与えたという。「いろいろな選手、いろいろな監督、いろいろなコーチに出会えることで、プラスに働くことが多い」というのも、コンスタントに新天地を求める大きな要因だ。
そして今回、ヴェルディは自身にとって4つ目のクラブとなる。ここまでリーグ戦33節を終え、32試合出場、自己最多タイの4ゴールと、現時点で“直感”は正しかったように映る。だが、あくまで本人は「(移籍を)正解にしないといけないと思って一年間過ごしてきている中で、その答えはシーズンが終わってから。今はまだその最中なので」と話すに止める。また、チームとしてもここまで12勝12分9敗の8位の成績だが、「大事なのは一シーズン終わってどうやったか。たとえここまでで手応えを感じても、残り5試合がボロボロだったら意味ないんで。そういうのはシーズン終わってから考えようかなと思います」と、ここからの戦いの重要さを強調する。
常に直感を信じ、あえて厳しい環境に身を置いてきた。その中で最も大きかったのが、大宮での当時キャプテンだった三門雄大選手(現FC今治)との出会いだった。
「大宮での2年間、僕はミカさんの背中を見てやってきました。大宮では、正直、ずっと試合に出られていたわけではありません。そんな時に、ミカさんから『試合に出ても出んくても、やり続けるのが大事』と言われて。それともうひとつミカさんがずっと言っていたのは、『一番良い選手というのは、どんな監督でも試合に出られる選手』だと。『ゴールを決める選手とか、何か特別なことをできる選手より、ずっと試合でピッチに立ち続ける選手が、本当の意味での良い選手』というのをすごく言われて。そこで大事なことに気付けたのは大きかったかなと思います」
正直、大宮での2年目は監督が代わり、「自分のプレーイメージと監督のプレーイメージをすり合わせることの難しさをすごく感じました」。それでも、尊敬する先輩の言葉に励まされ、逃げることなく現状を受け入れ、向き合えたことで、成長と自信を手に入れることができた。
その後、町田で2022年、2023年とランコ・ポポビッチ監督、黒田剛監督、今季はヴェルディで城福浩監督と、それぞれ違う監督の下でしっかりとレギュラー選手として重用されていることが、その何よりの証明と言えよう。
ただ、翁長自身は、今季の立ち位置を決して順調だとは捉えていないという。
「去年やっていたことと全然違うことが多くて、それこそ監督の目指すサッカーに自分も合わせていくという面では、開幕戦はスタメンで出はしましたけど、そこからしばらくベンチスタートだったり試合に出られないという時間もあったので、自分で消化しながらという感じでしたね」
試行錯誤する中で、同じポジションで試合に出ている深澤大輝や宮原和也などのプレーを日々見ながら、指揮官の求めるパフォーマンスと自分の特長を融合させ、正解を導き出した。そして、今ではウィングバックとして、無尽蔵のスタミナ、素早い攻守の切り替え、パスやクロスなどの正確性など、チームにとって替の効かない選手の一人だと言っても過言ではない。
また、ピッチ外でも、大宮時代に影響を受けた三門選手、畑尾大翔選手(ツエーゲン金沢)、富山貴光選手(大宮)、すでに引退した河本裕之氏から学んだ、「チームのためを思って行動する」という役割を買って出ている貴重な存在だ。実際、多くの後輩選手たちが「ヒジくん(翁長の愛称)のおかげ」との言葉を口にしている。
その一人が、山田剛綺だ。「ヒジくんは、『出ていない時も、とにかくやり続けろ』と言ってくれたり、さりげなくご飯に誘ってくれたり。自分が一番苦しい時期を乗り越えられたのは、常に前向きな声をかけてくれたから』と感謝してやまない。それは、まさに翁長自身が三門選手から伝授された金言だ。
「何にしても、やめたら失敗になるし、やめんかったら失敗じゃないんで。剛綺やったら、シュート練習をやり続けるとか、僕やったらクロス練習とか、そういうトライしようと思って始めたことをやり続けることが大事。続けていれば失敗ではないんで。どんなに出れんくても、どんなにシュートを外しても、クロスをミスっても、まだ練習中なんで。それをもう死ぬまでずーっとやり続ければ、人生失敗じゃないと思うので。途中でやめるから失敗になるっていうのが、僕の考え方ですね」
こんなにも温かく、励まされる言葉をかけてもらった後輩たちが、翁長を慕わないはずがない。何人もの選手から、幾度となく「ヒジくんが〜」という賞賛の声が聞かれるが、当の本人は「みんな、立てるのが上手いだけですよ」とただただ謙遜するばかりだ。それでも、その表情はとても柔らかい。
実は、“直感”で選んだとはいえ、翁長のヴェルディというクラブへのイメージは、決してポジティブなものではなかったという。
「僕らの代のイメージからかもしれないですが、もっとヤンチャな選手がいっぱいいると思っていました。同世代とか、もっと上の世代は、良い意味でも悪い意味でもヤンチャな選手がいたイメージだったので、正直、『大丈夫かな?』と思ったんですけど、実際来てみたら、下の年代の選手は可愛い子たちばっかり。それは意外でしたね」
そして、“ヴェルディ”の一員として日々を重ねていくうちに、このクラブの伝統を自然に受け入れられている。
「最初に思っていた同世代の“ヤンチャ”だった人たちは、気持ちを外に前面に出すタイプやった人が多かった中で、今の子らは、内に秘めたものがちゃんとあるっていう、タイプの違いかなと。ここに来て改めて思うのが、僕ら世代の選手が表に出すタイプだったからそういうイメージだっただけで、今も昔も、みんなこのチームが好きで、 このチームを良くしたくて、このチームが強くあるべきだと思っている。そういう芯と熱意を持っているというのは、まったく変わらない。みんなこのチームが好きなんだなというのは、めちゃくちゃ感じます」
そうしたチーム愛、クラブ愛は、大宮時代に尊敬する選手たちから感化されたことの一つでもあった。「直接はあんまり言葉では言わんと思いますけど、みんな大宮が好きで、チームのことを優先して考えていた人たちばかりで。だからこそ、若いやつが自由にやれるみたいな。そういう役割を今度は自分ぐらいの年齢の選手がやっていけたらなとは思っています」
その言葉が決して上部だけではないことは、ヴェルディのファン・サポーターであれば十分納得できるに違いない。試合で、明らかに選手誰かのミスで負けてしまった時には、必ずと言っていいほど、そのそばに背番号『22』の姿がある。
「別に、その選手のミスで点を取られても、“サッカー”をしているんで、誰のせいでもないと僕は思います。逆に、その選手が、それを引きずって、そこから崩れていく方が嫌なんで。反省なんて後でしたらいいから。とりあえずこの試合を全力でやり切って、あかんかったら監督が代えるやろうというイメージですかね、僕は。その一プレーで一喜一憂しても仕方ないなとは思います」
言葉こそぶっきらぼうだが、引きずらないようにと真っ先にかけてくれる声に、どれほど当該選手が励まされてきただろうか。
実は、翁長自身も、サッカー面でも私生活面でも、ミスや悩みはほとんど引き摺らないタイプだという。
「そんなに執着しても、それって過去のことなんで、意味がないと思うんですよ。だって、同じシチュエーションは二度と来ない。やったら、それを経験にすればいいだけ。良いことも悪いことも、生きていれば絶対にあるので、自分はずっと平常心でいられればなと思います」
また、どんなに相手に不満があろうと、全てのベクトルは自分に向ける。
「人は変わらないんで、変えられるのは自分だけなので、自分が変わるしかないんですよ」
そうした思考の中でたどり着いた、プロサッカー選手として最も重要なことは、「怪我をしないこと」だ。
「テーブル(監督が選べる戦力の中)に乗り続けるのは大事かなと思います。怪我せんかったら、どこかでチャンスが来るので」
その意味では、2021年に膝を怪我して長期離脱した以外、ここまで大きな怪我をせずにプレーし続けられていることが、翁長の大きな武器の一つであると言えよう。
そして、もう一つの強みが強靭なメンタルだ。プロ一年目に当時の監督だった高木琢也監督から言われた言葉が今も支えとなっている。
「高木さんから、『人は賞賛されて、批判されて、無視されるんだよ』と。『おまえ、無視されたら人生終わりだよ』と教わったんですよ。なので、批判されるってことは、良くも悪くも見てもらえているということ。別に悪いことじゃないんやなと思うようになりました」
ミスを引きずらない。批判や雑音を気にしない。そして、努力を怠らない。それゆえ、精神的に安定しているからこそ、仲間にも寛大であり、信頼されるのであろう。
「馴れ合いみたいになってしまうのが嫌」だと、あえて自ら環境を変え続けてきた。だが、「この先はわからない」とも翁長。ヴェルディでの日々が、時を重ねれば重ねるほど居心地が良くなりつつも、絶えず厳しいことを言ってもらえる、これまでにない理想的な環境になっていきますように。翁長のキャリアの中で、過去最長在籍クラブとなることを望むばかりだ。
<深堀り!>
Q:普段の練習でも、一番最初にグラウンドに出てきたり、率先してボール出しを手伝ったり、給水時には自ら一番遠くの水を飲みに行ったりと、1つ1つの行動に、人間性の素晴しさを感じます。意識なさっての行動なのですか?
A:
グラウンドに出るのが早いというのは、特に意識してなくて。ただ、早よボールが蹴りたいなと思って出て行っているだけですけどね。
でも、練習の間にダラっとするのが嫌いで。だから、最近はもう特には意識していないですけど、プロに入ってからしばらくの間は、すごく意識していましたね。「給水して、こっちに移動」とか言われたら、絶対に一番遠いところに行くようにしていました。大体、みんな自分のいる手前から飲みに行きたいので、遠ければ遠いほど時間がかかるから、もうそれやったら、自分が一刻も早く遠い方に行けば、たぶん他の人もついてくるので。なので、今はもう、無意識で、自分がいる場所から一番行きづらい場所にできるだけ行くようにはしています。
僕、ほんまに練習がダラっとするのが嫌いなんですよ。やから、水飲みに行くのもジョギングで早く行って、そしたらスムーズに練習が進むじゃないですか。(そういう1つ1つの行動が)ダラっとしていたら、ダラっとした練習になると思うんでね。
あと、緊張もしないし。たまに、「緊張して寝られない」とか「食べられない」とか言う人いますけど、僕には考えられないですね。「良い緊張感」っていうのも僕はわからないです。だって、緊張しても意味なくないですか?自分に期待しているから緊張するだけで。僕は自分に期待していないので、どれだけミスっても「こんなもんやろ」と思っているので。
(文 上岡真里江・スポーツライター/写真 近藤篤)
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