『ヴェルディで挑むJ1の舞台。平智広が語った"覚悟"とは―。』
Player's Column
『ヴェルディで挑むJ1の舞台。平智広が語った"覚悟"とは―。』
2024年6月2日J1第17節コンサドーレ札幌戦、後半44分にその瞬間は訪れた。平智広がJ1デビューを果たしたのである。2013年、当時JFLだったFC町田ゼルビアでプロキャリアをスタートさせてから12年、J3、J2と一歩一歩ステージを積み上げ、ついにJ1の舞台に到達した。東京ヴェルディに在籍して9年目にして刻まれた『J1』での出場記録に、長く見続けてきたファン・サポーターたちも我がことのように喜び、讃えた。
だが、平本人は「思うところは、あまりないですね」と、笑顔はほとんどなかった。その理由を尋ねると、「ただ出ただけなので、そんなに実感はないですね。それに、出たのも最後の数分だったので、もっと(出場時間を)伸ばしたいという気持ちの方が強い」ときっぱり。このプライドと向上心こそが、12年かかりながらも、「J1」という目標を達成できたゆえんだろう。
法政大学卒業後、町田に加入した時点では、J1でプレーする自分の姿など想像もつかなかったと振り返る。
「目標としては『J1でやりたい』というのはずっとありましたが、最初に入ったのがJFLチームで、最初の給料は月数万円。それだけだと生活できないので、週に2、3回スクールの手伝いをしながらサッカーをやっていましたし、今と違ってクラブハウスもなくて、近くの一軒家の民家を借りて、そこで着替えたり、ミーティングをしたり、治療やマッサージをしたりしていました。洗濯も自分の家に持ち帰って各々がやるというのが当たり前の環境だったので、そこでJ1を目指すといっても、なかなか現実的には厳しいかなというのはありました。
それで2年目にJ3ができて、自動的に“Jリーガー”にはなりましたが、本当にただただ一年一年が勝負の年だと思ってやってきたという感じです」
そうやって自身のキャリアをあらためて遡ってみたところで、平はしみじみと口にした。
「自分でも、『すごいな』って思いますね。まさか、この年齢(34歳)までプロサッカー選手としてキャリアを積めるなんて想像つきませんでしたし、何よりも“東京ヴェルディ”でJ1に上がれたということがすごいことだと思います」
思えば、人生の大事な節々は、常に“ヴェルディ”によって築かれた縁によって導かれてきた。
高校生の時にヴェルディユースに所属するも、トップ昇格は果たせず、法政大学へと進学した。4年生の進路先を決める大切な時期に、試合にいっさい出られなくなった。そこで頼ったのが、ユース時代の監督だった柴田峡氏(現ラインメール青森監督)だった。その伝で、2012年に東京ヴェルディの練習に参加。そこで出会った、当時トップチームコーチだった秋田豊氏が翌年の2013シーズンに町田の監督に就任することに伴い、オファーを受け、町田入りが決まった。
町田での3年目、J2昇格プレーオフでの大分戦に「本当は試合に出る予定じゃなかった」という。だが、「一週間前にレギュラーの選手が怪我をしたことで、たまたま僕が試合に出ることになった」という試合を、当時監督だった冨樫剛一氏が視察に訪れており、そこで獲得を決めたと、のちに聞かされた。
「そこからですもんね。あの時、冨樫さんに呼ばれてヴェルディに戻ってこれてから、もう9年間もいるんですよね・・・」
その間、本当にたくさんの人事往来を見てきた。特にアカデミー出身選手は、ほぼ全員が「ヴェルディでJ1」との想いが強かった。それでも志半ばでクラブを離れなければいけない選手がどれほど多かったことか。その悔しそうな顔の1つ1つを、平は今でも鮮明に覚えている。
その中で、自分が9年もの間、ヴェルディでプレーし続けられている要因はどこにあるのだろうか。平自身「なんでここまでやってこれたんだろう」と自問自答することもあるという。そして、一つだけ思い当たるのは、「どの監督下でも試合に出ていた」ことだ。
「まず、試合に出ないと評価されない世界だと思うので、監督が代わっても試合に出ていたシーズンが多かったことが大きかったと思います。監督によって求めるサッカーは違います。そこに順応しようとしてきたことは確かです。それって、ある意味、『個性がない』と自分でも思います。よく、こだわりが強い選手っているじゃないですか。でも、そういう選手が監督とぶつかったりするのをよく見てきたので、それを考えると、自分にはあんまりそういうこだわりというか、曲げられないサッカー観というものがないのかもしれませんね。その監督に求められているサッカーが1番だと思って常にやってきたので、それで使いやすかったんじゃないかなというのはありますね。『自分はこういう選手だ』というより、試合に出るためにチームとして必要なことは?というのが第一優先。今年で言ったら、ボールを奪う能力だったり、フィジカル的な要素、運動量なども求められていると思います。毎年、監督に何を求められてるのかは、常に考えてきたかもしれません」
その上で、今季は出場機会に恵まれず、札幌戦での1試合のみ。「正直なところ、今までで一番難しいシーズンかもしれません」と、苦しい胸の内を吐露する。
「どの選手を起用するかは監督が決めることなので、自分ではコントロールできません。自分がどんなにコンディションやパフォーマンスがいいと思っていても、使われない時期はいくらでもある世界ですからね。監督が使いたいと思う11人の中にいかに入っていくかが大事。今、僕もいろいろと試行錯誤してやっているところです」
気がつけば、現チームの中でヴェルディ歴が1番長い選手になった。これまで共に闘ってきた“ヴェルディ愛”に溢れた先輩選手たちの想いも背負って、16年ぶりのJ1で活躍するのが使命のひとつだが、一方で、長く在籍しているからこそ、ヴェルディの現在地をしっかりと見つめているのも、また確かだ。
「僕なんかより、もっともっとヴェルディ愛に溢れていた選手たちがいっぱいいたので、そういう人たちがいなくなってしまったのは寂しいです。でも、ヴェルディ自体も今、変わろうとしてるところなので、先に進むためには、新しい風というか、選手も入れ替えながら新しいヴェルディを作っている途中なのかなとは思います。僕は9年ですが、在籍が短いからってヴェルディ愛が薄いということは全くなくて。今年入ってきた選手の中でもヴェルディが好きな選手はいっぱいいますし、その他の選手からも、『ヴェルディが好き』という声はかなりたくさんの選手から聞いているので、あらためて、ヴェルディは慕われるチームなんだなと思ってうれしいですね。在籍年数は関係ないと思います」
とはいえ、アカデミー出身選手の一人として、このクラブに受け継がれてきた良い部分はしっかりと後輩に伝える責任があることも自覚している。
「ベテランの人の一言とかワンプレーとかって、影響力が強いじゃないですか。なので、あんまり波風立たないように、特に口では目立たないようにはしてます(笑)若い選手って、練習中とか、ベテラン選手の振る舞いをすごく見ていますよね。試合に出ていないベテラン選手がしっかりやっている姿って、チーム的にもものすごく大事だと思うんですよね。僕が一緒にやってきた中でも、ヴェルディのベテランはきちんとやっている選手が多かった。なので、そういう先輩たちを僕も見てきたので、お手本になる振る舞いをしないとなというのは意識しています」
J1デビューは果たした。次なる目標は、「J1でスタメンで出て、無失点で勝つこと」。平均観客動員数が3000人未満の時を過ごしてきた身として、昨今のファン・サポーターの人数の激増ぶりに驚くと共に、どんな時でも支え続けてきてくれたファン・サポーターの存在の大きさを感じずにはいられない。
「なかなか昔みたいに練習を見てもらえる機会がないので、やはり試合に出て、ピッチで戦っている姿を見せることが一番の恩返しだと思うので、見せられるように頑張ります」
この苦境をいかに乗り越えていくか。平の奮闘から目が離せない。
<深堀り!>
Q:クラブ公式サイトの選手名鑑のアンケートで、「2024年のプライベートな目標や挑戦したいことは?」の答えが『キャンプに行く』でした。達成しましたか?
A:キャンプ、まだ行けてないんですよ。キャンプ道具はあるんですけどねー。
行ってみたいと思ったきっかけは、2020年ぐらいに一度、ちょっとしたキャンプブームがあったんですよね、ソロキャンプに行ったりする。それで、僕の中で、YouTubeとかでキャンプ動画を見るのが好きだった時期があって。なんか、ただひたすら肉を焼いて、お酒を飲んでいるみたいな動画を好きで見ていたんですよ。その時に、「あ〜、キャンプいいな〜」と思って。それで、当時、福ちゃん(福村貴幸)がヴェルディにいて、キャンプ道具も持っていて、けっこう行ったりしていたので、なんか影響されて道具を集めたんですよ。道具だけ!つまり、3年前に買った道具を、まだ出してもないし、使ってもないという(笑)
行くとしたら、家族とも行きたいですし、友達とも行きたい。でも、家族と行くには、自分がある程度できないダメじゃないですか。だから、それを学びに、まずはチームメイトと行きたいなぁと。(千田)海人かもよく行っているので、ちょっと学びたいなと。学びがてら、一緒に行って、簡単な料理を作って、食べて、夕日とか見ながら、なんかいろいろ語らうとか、なんか楽しそうでいいじゃないですか(笑)
でも、1番いいのは、海人と一緒に行くのに、僕の家族も連れていくことですね。これから暑くなっていくので、早くしないとですよね。子供の学校もあるので、難しいと言えば難しいんですけど、なんとか時間見つけて、今年中には行きたいですね。
(文 上岡真里江・スポーツライター/写真 近藤篤)