『YOUTHFUL DAYS』vol.13 深澤大輝
プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。
取材・文=上岡真里江
今でも鮮明に憶えているヴェルディ・ジュニア時代
深澤大輝にとって、東京ヴェルディとの出会いは『ディフェンダー』との出会いそのものだ。小学校4年生でヴェルディジュニアに所属してから約13年、小、中、高校、大学、そしてプロになった今に至るまで、DF一筋を貫いてきた。
サッカーボールを蹴り始めたのは4歳の頃。サッカーをやっていた父の影響で、幼稚園の時にサッカー教室『JACPA(ジャクパ)』に通い始めたのが始まりだった。小学校に上がると、並行して『西原少年SC』にも所属するようになる。上級生の試合に出ても活躍できている我が愛息子に、父は東京ヴェルディジュニアのセレクションを受けることを勧めた。
当時、畠中慎之助、安西幸輝、高木大輔、菅嶋弘希、澤井直人らを擁したふたつ上の代が、『全日本少年サッカー大会』で優勝したこともあり、ヴェルディジュニアの存在は印象深いものではあったが、深澤本人にとっては「自分からセレクションを受けたいというほどでもなかった」のが正直なところ。だが、勧められるがまま受験し、一次、二次と通過していくうちに、いつの間にか楽しんでいる自分がいた。そして、合格が決まった瞬間には、心から「ここでサッカーがやりたい!」と思えた。
ヴェルディジュニアでの日々は、今でも鮮明に憶えているほど楽しかった。自宅がある東久留米市から練習場までは1時間弱かかるため、遊ぶ時間などほとんどなく、学校から帰ってランドセルを置くとすぐに読売ランドへ向かった。それでも間に合わない時は、学校まで親に迎えに来てもらい、車で送ってもらうことも少なくなかった。時には早退しなければいけない時もあった。「とにかく早くヴェルディグラウンドに行きたい」。ただその一心だった。
当時を回顧すると「ずっとグラウンドで何かをしていた記憶」しかない。「ボール回しとか、とにかく常にみんながボールを蹴っていました。午前中の練習でも、帰るのは夕方ということがしょっちゅうでしたね」
長い時間チームメイトたちと一緒にいることがこのうえなく楽しかった。当時、通称“シロカケ”という、ヴェルディグラウンドから最寄り駅近くのバス停『城下』までを、鬼を決めて鬼ごっこをする遊びのようなものが流行っていて、特に5、6年生の誰かが「やろう」と言ったら絶対だった。練習後の坂道(常に下り坂。徒歩20〜30分)の鬼ごっこは、いくら育ち盛りの小学生でもなかなかハードであることは想像に難くない。それでも、「きついな〜」と思いつつも、みんなと一緒だからこそ楽しんでいた。それも今となってはかけがえのない思い出だ。