『YOUTHFUL DAYS』vol.10 富澤清太郎
プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。
取材・文=上岡真里江
やんちゃ少年とサッカーの出会い
富澤清太郎38歳。サッカーもプライベートも、誰に左右されることなく常に“我流”を貫いてきた。「昔がどうだったかより、これからどうなるかのほうに興味がある」という考えから、過去を振り返ることはほとんどない。だが、この機にあらためて過去の自分に目を向けたところ、その性質が幼少期からのものであったことを再認識することになった。
まさに『破天荒』という表現がぴったりの子どもだった。幼稚園の頃は、『LEGO』ブロックに夢中。小学校に上がると、通信簿の成績は体育と図工だけが飛び抜けて良かった。「楽しいことにはとことん没頭する。気が乗らないものには興味すらわかない」。そんな少年だった。
卑怯者が許せないという気質も当時からのものだ。例えば、いじめられている子を見たら、いじめている相手を絶対に許すことができない。「自分で言うのもなんですが、正義感ゆえ、悪になっていることが多々あった。いじめられている子を助けたつもりが、僕が廊下に立たされているんですよ(笑)」
チャレンジ精神も今とまるで変わらない。「僕、小学生、中学生、高校生と3回、交通事故に遭ってるんですよ。1回目は、地元・日吉の団地の周りで友だちと自転車レースをしていた時、ちょっと大きな通りに出たら、ちょうど車が来て…『ドンっ』と。その頃から、『これ以上は危険だ』という直感が働くんだよね。だけど、そのボーダーラインを超えるような自転車の操作をしてしまった」
頭で分わかっていながらも、“境界線”を超えてみたくなるのだろう。アゴが腫れ、口が開かなくなるほどの大ケガを負った痛すぎる失敗談だが、良く言えば限界突破精神、悪く言えば無鉄砲な一面を表すエピソードだと、ようやく本人も笑って回顧できるようになった。
そんなやんちゃ少年がサッカーと出会ったのは小学校1年生の時。「どうやら、近所の何歳か年上のお兄ちゃんがサッカークラブに入っていて、突然母親に『僕もサッカーやりたい』と言ったみたいで。でも、僕はそのことを全く憶えてないんです」。気がついたらサッカーを始めていた。
所属した地元の少年団ではすぐに頭角を表した。だが、担任の先生の弟がクラブチームのコーチをやっていた縁で、そのチームの練習に参加させてもらうと、あまりのレベル差に「こんな世界があるんだ」と衝撃を受けた。また、同じ横浜地区だったため、大会や練習試合で横浜マリノス(当時)のアカデミーと対戦することも多く、マリノスの選手を見るたびに「このままじゃダメだ」と、激しく成長意欲を掻き立てられた。そして、ついにその気持ちが抑えきれなくなった3年生の時、たまたまタイミングよくセレクションを実施していた『読売クラブ』のテストを受け、晴れて合格した。