『YOUTHFUL DAYS』vol.1 加藤弘堅
プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。
取材・文=上岡真里江
「一番じゃなきゃ嫌」、「練習は陰でやっていた」
“負けず嫌い”の性格が、今の加藤弘堅を築き上げてきた。7歳離れた兄と2人兄弟。遊んでくれる兄の友だちを含め、常に大人たちに囲まれていた影響もあるのかもしれない。「なんでも自分でやりたがる」子どもだった。
その性格は、サッカーでも大いに発揮された。ボールを蹴り始めたのは幼稚園の年長の頃から。週に1回だったが、通っていた幼稚園で放課後に行われるサッカー教室は、友だちと一緒に遊ぶ手段の一つでもあり、楽しくて仕方がなかった。
卒園後、学区の関係で、一緒にサッカーをやっていた仲間の大半とは別の小学校に入学することになったが、「こっちにおいでよ」と誘ってもらい、隣の小学校のサッカークラブに所属することになった。
周りの子より身長が高く、足が速かったこともあり、スポーツは何でもできた。学校でもサッカークラブでも常に中心であり、「一番じゃなきゃ嫌」だった。だからこそ、その地位を守るための努力を惜しまなかった。
今でも忘れられないエピソードがある。小学校3、4年生の頃に、新しくサッカークラブに入ってきた初心者の子がいた。一言で言えば、「下手くそ」だった。だが、どんどんサッカーにのめり込んで、毎日の習慣としてリフティングをするようになると、「今日は○回やった」「○回できるようにやった」と、たびたび報告してきたという。もちろん、加藤もそれなりの回数ができる自信はあったが、正確に回数を数えたことはなかった。新米少年のクリア回数が100回、200回と増えていくと、たちまち闘争心に火がついた。