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2020.10.11

緑の分岐点 長谷川唯選手

“どんな状況も楽しむ”力が導いた成長曲線

 

 鮮やかなターンで相手をかわし、洗練されたパスでチャンスを演出したかと思えば、意表を突く美しいゴールを決める。高いスキルと発想力豊かなプレーでベレーザのサッカーを体現する長谷川唯は、小学5年生でベレーザと出会った。

 

「体が小さかったので、ドリブルしたり、パスを繋ぐサッカーが好きでした。リーグカップの決勝戦でベレーザの試合を見たことが、ベレーザを目指すきっかけでした」

 

 中学1年のメニーナ入団時はひときわ小柄で、身長は小学3、4年生の平均値ほどしかなかった。だが、高校生の選手たちとプレーする中で技術や予測力を磨き、懸命に食らいついた。その努力を支えたのは、ピッチを俯瞰で捉える優れた視野と、どこまでも前向きな向上心だ。

 

「最初の1、2年は試合に出られないことも多かったけれど、落ち込むことはなかったですし、それより上手い選手たちと毎日練習できることが楽しくて、『もっと上手になりたい!』と、そればかり思っていました」

 

 同期の仲間が先に昇格した時は悔しさを噛み締めたが、メニーナの中心選手として全力を尽くし、結果的に「一番成長できた」と胸を張ることのできる1年を過ごした。そして、ベレーザに昇格した2013年以降はレギュラーに定着。高校生でチームの浮沈を左右する存在になり、15年からのリーグ5連覇を牽引する。メンタリティも変化した。

 

試合に出続けることで責任感を持ってプレーするようになり、どうしたら年下の選手がプレーしやすいかを考えるようになりました」

 

 

年代別代表には14歳から継続的に選ばれ、14年のU-17W杯は初優勝の原動力に。技術と運動量で他国を圧倒し、17歳までは世界でも負け知らずの“最強世代”だった。

だが、U-19で世界の壁にぶつかった。「海外の選手の身体能力が、2年でここまで変わるのか!と衝撃を受けたんです」。3位に終わったU-20W杯の後、フル代表ではフィジカルと戦術面でさらなる向上の必要性を痛感するなか、転機が巡ってきたのは18年だ。

 

「それまで感覚的にやっていたプレーが永田(雅人)監督の下で論理的に理解できるようになり、ボールを置く位置や戦術面なども意識してプレーするようになりました」

 

そのプロセスは、自分の考えを言語化し、伝える力も向上させた。「(プレーの)要求や、自分の思いをしっかり伝えること」を、今は大切にしている。

 今季はプレーエリアがゴールに近くなり、ゴールも自己最多の「5」に達した。しかし、チームは今、試練の時を迎えている。

 

「攻守がうまくいってない時にどうするかという点でやれることはたくさんあるし、(自分が)やらなければいけないと思っています」

 

 逆境は、長谷川を奮い立たせる。だが、どんな時でも「楽しむ」ことを忘れたことはない。その前向きなスピリットで、強く、そして魅力的なサッカーを追求し続ける。