緑の分岐点 小林里歌子選手編
「万能型FWからゴールハンターへの転身」
直近の4試合で25ゴール。記録的ペースで得点を重ねるチームで、背番号11が躍動している。ドリブルやスルーパス、献身的な守備からチャンスを作り、自身も5戦連続得点中だ。
原点には、「点を取ることと同じぐらい、自分のアシストで味方が決めてくれる楽しさがありました」という小学生時代の原体験がある。仲間の特徴を観察し、判断力を磨き、万能型FWとして頭角を現した。
「中学時代、遠征で関東の強いクラブチームと対戦する機会があって、『自分よりもっと上手い選手たちの中でプレーをしたい』と思うようになり、全国で何連覇もしていて(卒業生に)代表選手も多かった常盤木学園高校に進学を決めました」
神戸の実家を出てサッカー漬けの日々を過ごした3年間が、最初の転機だった。年代別代表で結果を残し、2014年のU-17W杯では世界一に貢献。だが、順調だったキャリアは高校3年の秋に急転する。国体で右膝前十字靭帯を断裂。入団が内定していたベレーザで翌年の復帰を目指したが、度重なるケガで手術を重ね、復活に2年半もの歳月を要した。
「復帰後にどんなプレーをするかイメージが掴めないままで、リハビリをして誰にも会わずに帰ることもありました。原因不明の痛みが出て、『もう一生治らないかもしれない』と考える時は本当にきつかったです」
痛みや孤独との戦いの中で切れそうな気持ちを繋ぐことができたのは、家族や同僚の支えがあったからだ。自分より大変なリハビリを克服した村松智子の細やかなフォローは、絶望の淵から何度も救ってくれた。
「『必ず待ってくれている人がいるから、里歌子が諦めたらダメだよ』と。その言葉は深く胸に刺さりました」
18年4月に復帰を果たすと、新たな挑戦が待っていた。永田雅人監督は3トップの両翼に積極的な仕掛けを求め、その一角に小林を抜擢。周りを使うプレーが得意な反面、「ゴールに向かう姿勢が弱い」と言われてきたアタッカーの、眠れる能力が呼び覚まされていった。
「最初は自分の意思ではなく、『この場面は仕掛けないと』と思いながらプレーをして、パスをした方がいい場面で奪われることも。でも、それを続ける中で仕掛けることが楽しくなり、自信もついてきました」
その過程は、得点感覚を研ぎ澄まさせた。19年3月に代表デビューを飾ると、ブラジルとフランスの強豪2カ国にゴールを決め、国内トップクラスのFWの仲間入りを果たした。
今季のベレーザで、小林はサイドに加え、2トップの一角も担う。目指すFW像に迷いはない。
「まずは得点でチームを助ける選手になりたいですし、その意識を強く持ちつつ、チャンスメイクをしてチームを引っ張っていきたいです」
覚醒したゴールハンターは、対戦相手にとって真の意味で怖い存在になりつつある。