緑の分岐点 土光真代選手編
「一番苦手だったプレーが強みに変わってから」
2009年の入団時に受けたメニーナのセレクションでは、異例となる一次選考での一発合格。早熟の才能は、飛び級で選ばれた12年のU-20W杯で全国区になった。同年、世代交代の過渡期にあったベレーザでリーグ戦初出場を果たす。だが、その先に試練が待ち受けていた。
「主力選手の移籍や怪我もあって試合に出られました。今考えると、あのプレーでよく選んでもらえたな、と。練習で自分だけできなかったり、迷惑をかけないようにと必死で。練習が苦になることもありましたね」
2年目からは控えに回ることが多くなった。代表選手が揃うハイレベルな環境は、自己を客観視する力も鍛える。センターバックの真髄を学んだのは、若くしてチームの大黒柱となっていた岩清水梓からだ。
「『センターバックは声で(相手のパスコースを)半分消せる』と言われてきました。試合に出られるようになって、サッカーを知れば知るほど、その言葉が実感できるようになりました。声で全体を動かせば、楽にプレーできるようになるんだなと」
ベンチを温めた4シーズンを経て、17年の途中からレギュラーに定着。大きな転機が巡ってきたのは、永田雅人監督が就任した18年だ。
「ビルドアップは一番苦手なプレーでしたが、永田さんは相手を引きつけたり、後ろから組み立てたり、ドリブルで侵入していくプレーも求める。最初は『無理だよ…』と思うことばかりでしたが、諦めずにやり続けた結果が今に繋がり、サッカーの新たな楽しさを感じています」
覚醒した攻撃面の能力は、代表でも強みになりつつある。18年夏のブラジル戦は2失点とほろ苦いデビュー戦となったが、19年末の南アフリカ戦では先制点に絡み、勝利に貢献。そして、今年3月のアメリカ戦では本職ではないサイドバックで起用されながら、ベレーザで洗練させたラインコントロールとミドルシュートの成果を力強く示した。
「ベレーザの選手が多い代表のなかで、練習でもうまく自分の特長を出せたことが大きかったと思います」
今季、開幕戦の終了間際に目が醒めるような土光のミドルシュートで幕を開けたベレーザは、ここまで6試合で21得点。試合ごとにギアを上げている。
「もっと守備範囲を広げたいと思っています。その選手がいることで相手のパスが通らなくなったり、奪えなかったボールが奪えるようになる。そういう存在が一人いれば、サッカーはまったく違うものになりますから」
緑のDNAを受け継いでから12年。転機と成長を経てディフェンスリーダーの風格を備えた背番号4は、女王の歴史に新たな足跡を刻んでいく。