緑の十八番 高橋祥平選手
マッチデイプログラム企画『緑の十八番』
高橋祥平 選手
文=上岡真里江(フリーライター)
「俺はヴェルディが好きだから」
高橋祥平から何度この言葉を聞いただろう。高校3年時の2009年に2種登録選手としてトップチームに所属してから、ずっとである。8年ぶりに戻ってきた今年は、その言葉にさらに力強さと重みが増している。
その敬愛が、小学生時代から慣れ親しんだ環境への想いからきているのは間違いない。だがそれだけではない。Jリーグデビューを飾ってから12年、プロサッカー選手としてピッチに立ち続けている“高橋祥平”のすべての礎だからこそ、特別な存在なのだ。
『対人』と『ビルドアップ』に絶対の自信を持ってここまで勝負してきた。その武器を授けてくれたのはほかでもない、東京ヴェルディのアカデミーだ。
小、中学生の頃は攻撃的なポジションの選手だったが、高校に上がったタイミングで当時ヴェルディユースの監督だった柴田峡監督(現松本山雅監督)からDFにコンバートされる。その出会いが髙橋を開眼させた。
「全面コートで1対1や2対2を何十回もやった(笑)。対人のところはかなり厳しく指導されました」
想像するだけで音を上げそうなほど過酷な練習メニュー。毎日がそのオンパレードだったというが、それでも今は心の底から感謝している。
「もう二度とやりたくない! やりたくないけど、あの練習のおかげで僕は強くしてもらえたと思っています」
「強くしてもらえた」要素はふたつあった。ひとつは『対人』。相手に対してフィジカルコンタクトや駆け引きで負けない力、ボールを取り切る術などを徹底的に叩き込まれた。厳しい練習を何度も繰り返す中で、髙橋自身「ディフェンスのポイント」だという“自分の間合い”をつかみ、体に染み込ませることができた。
「足が速い選手にはちょっと距離を保とうとか、足が遅そうだなと思ったら距離を詰めようとか、自分が取れる間合いが分かるようになったのはすごく大きかった」
もうひとつは『メンタル』だ。全面コートでの1対1勝負など、体力はもちろん、精神力がなければ絶対に勝つことはできない。フィジカル的に苦しさ状況でも決して逃げない覚悟、絶対に抜かれないという負けん気、粘り強さなど、「キツさ」の限界を乗り越えることで、勝負へのこだわりは鍛え上げられていった。
そうしてDFとしてのスキルを磨いていくと、次第に評価は高まり、気がつけば世代別日本代表にも選ばれるようになっていた。「プロになれたのも、柴田さんや(当時コーチだった)ミニさん(中村忠氏)、西ヶ谷隆之さん(現松本山雅コーチ)にしごいてもらったからだと思っています」。間違いなく、その後のサッカーキャリアを変えてくれた人たちだ。
ただ、ユース時代に築いた基礎が、そのまま通用するほどプロの世界は甘くない。ポテンシャルの高さを買われ、ユース所属時の高校3年生で2種登録選手としてトップチームに帯同。開幕戦からスタメンで起用され、シーズンを通して25試合に出場したが、決して簡単ではなかった。それまでは(世代別)代表に行っても、能力の高さで通用していた部分があったが、J2といえども、プロの世界には能力も技術も遥かに上の選手はたくさんいる。そこで初めて「考えてプレーする」ということを学んでいくことにある。
その点でも高橋は、人と環境に恵まれた。高3という早い段階からプロの試合に起用してもらえたことで、実戦の中で「考える」力を身につけることができた。何より、プロに入って最初にセンターバックのコンビを組んだ相手が土屋征夫(現東京23FC監督)だったことが人生最大の財産になった。
「バウルさん(土屋氏の愛称)は対人もヘディングも超強い。読みなどの考え方が本当にプロだなと感じましたし、守備に関してはすべてパーフェクトだと思います。それを、プロに入ってすぐに隣で見ることができた。一緒にプレーするからこそ肌で感じるものもありましたし、学ぶことが相当多かった。もし、他の誰かと組んでいたら、おそらくここまでやれていないと思います。いまだにバウルさんを超える選手を見たことがない。それくらい、僕の中では影響を受けた選手。今でも僕の目標です」
プレーのルーツは間違いなくそこにある。長年、東京ヴェルディを見ているサポーターは、高橋の姿に現役時代の土屋さんのプレーを重ねる人も少なくないのではないだろうか。
こうしてアカデミー時代から着々と培ってきたスキルを武器に、大宮アルディージャ、ヴィッセル神戸、ジュビロ磐田と、J1クラブでも主力として活躍してきた。
大宮ではヴェルディとは真逆の、守備を第一優先とするサッカーの中で守備のあり方を学んだ。神戸ではレアンドロ (元東東京ヴェルディ)、渡邉千真(現ガンバ大阪)ら強烈なFWがいる中でのビルドアップ、そしてネルシーニョ監督(当時)がこだわる「狙いどころやカバーをはっきりさせた、細かな守備」を経験した。「3バックだけど、どんどん攻撃していいと言われていました」という磐田では、ビルドアップ力に磨きをかけた。所属したチームごとに引き出しを増やし、2020年にヴェルディに戻ってきた。
そして古巣でもまた、永井秀樹監督と出会い、新たに経験値を増やしている。「守備での1対1の部分はそんなに変わらないですが、難しいなと思ったのがビルドアップの部分。ビルドアップは自分の持ち味だと思っていたのですが、そのやり方は他のチームとは全然違う、初めてのものでした。“人を見る”というところも含め、『こういうやり方もあるんだな』と勉強になっています」
まだ、完全にマスターできたわけではないというが、「だからこそ、やりがいがある」と目を輝かせる。「今のヴェルディがやろうとしていることは、ずっとポゼッションができているし、ボールが持てるし、楽しくて良いサッカーだと思う。これをやるのはサッカーの醍醐味。自分自身、持っていなかったものが学べているので、その意味でもこのサッカーをやれて良かったと思っています」。まだまだ引き出しを増やしていくつもりだ。
ピッチ外での高橋に目を向けると、『仲間思い』の性格も大きな魅力だろう。陰口は絶対に言わない。悪口の噂話には耳を貸さない。裏表なく、媚びを売ることもしない。常にチームメイトを大切にしてきた。
「同じチームでやるとなったら、僕はその人たちのためにプレーしたいし、チームのために頑張りたい。そのチームにちゃんと気持ちを入れたいタイプなんです。一緒にやっている仲間とは、ひとりのケガ人も出さず、みんなで一緒に1年間やり切りたいと常に思っています」
一方でドライな一面も持ち合わせているが、それもまた、髙橋らしいといえばらしいのかもしれない。
「チームを離れたら正直、そのチームにもう気持ちは入らない。移籍していく選手も、敵になった瞬間から全く関心がなくなります(笑)」
だからこそ、大宮でも神戸でも磐田でも、行った先が「一番好きなチーム」であり、「この仲間が最高」だった。そして、そのチームのために全身全霊で闘ってきた。
「でもね、」と高橋は続ける。「このチームだけは別。やっぱりヴェルディだけは、どこに行っても好きだから」。7年間離れていても、心の底には必ずヴェルディがあった。
今年は最愛のヴェルディのことだけを考えていられる幸せをあらためてかみ締めている。
2013年にクラブを去る際、自分に言い聞かせるために心に誓ったことがある。「ヴェルディを離れる以上、ずっと離れておいて、力をつけて、マジで『今だ』というタイミングを見計らって必ず戻る」。そのタイミングが今だったのかは「正直、そうだと言う確信はない」と明かす。ただ、だからこそ、「自分の中で『今だった』と思えるようにしていかないといけない」とも思っている。
「個人的な目標はない。ヴェルディがJ1に上がれるよう、少しでも力になれたらいいなということに尽きますよ。それは僕ひとりの力だけでは無理ですが、チームメイトはみんな同じ方向を向いているし、まとまっているとも思う。今はまだクオリティが低いかもしれないですが、このサッカーを来年、再来年と続けて行ったら、ヴェルディは絶対にJ1に上がれると思う。それにきっと、『このサッカーをやりたい』と言ってくれる選手も出てくると思う」
時に熱くなりすぎてしまうプレーも、すべては仲間のため、チームのため。最終ラインにそびえる背番号『6』は、今日も一挙手一投足にヴェルディ愛を漂わせている。