緑の十八番(オハコ) 河野広貴選手編
マッチデイプログラム企画『緑の十八番』
河野 広貴 選手
文=上岡真里江(フリーライター)
「『ドリブル=俺』でしょ!」
「何を当たり前のことを言わせるの?」とでも言いたげに、河野広貴はケラケラと笑う。
昨今、個々の技術力は圧倒的に進歩し、「巧い」と表現される選手が続々と輩出されている。だが、河野のように“代名詞”となる必殺の武器を持つ選手は、実はそんなに多くはない。
原石は、ごく自然のうちに研ぎ澄まされていった。
小学生の頃に所属した東京ヴェルディのアカデミー公認支部・S.S.相模原の土持功監督(現同チーム代表)は、その才能を見抜いていたに違いない。
「相模原では、何の制限もなくて、常に『好きなように、ボールをずっと持っていていいよ』とか、『自分でゴールまで行け』と言われていた。逆に、ツータッチとかパスを知らなかったぐらい(笑)」。“ボール回し”の練習のときですら、河野だけにはドリブルが許された。時には、1試合を通じ、「試合中はドリブルしかしちゃダメ。パスは1回も出すな」という超特異ルールを課されたこともしばしばあったという。「僕はドリブルが得意だったからドリブルだけ。パスが得意なヤツは、パスしかしちゃダメ。そうやって、その選手が得意な部分を見てくれて、徹底的に伸ばしてくれる相模原の環境が、僕にとってはすごく良かった」。求められたことに応えていくことで、おのずと武器は磨かれた。
また、ドリブルの虜になったのには、もう一つ大きな理由があった。身体が小さかったこともあり、キックが飛ばせなかったのだ。
「遠くからシュートを打てないから、最後まで自分で運ばないと、点が取れないというのがあった」
才能と必要性という2つの大きな要素がマッチすることで、ドリブラーとしての天資は見事に花開いていった。
ユース時代も含め、アカデミー時代の練習はただただ楽しかった。というのも、「練習が、ドリブル」だったから。そのため、特化した「ドリブルの練習」をした記憶は一度もないという。とはいえ、相手は必死でボールを奪いにくる。小・中・高校生ながらも、それをかわすため、自らシュートに持っていくまでの工夫や試行錯誤があったのではと思いきや、「そんなに深く考えてドリブルしたことがないかな」という異端ぶり。そして、堰を切ったように続けた。
「不思議なんだけど、見えるのよ。ここを抜いたら、次にここから飛び込んでくるって。次に来る相手が分かるし、スライディングとかも、すごくゆっくりに見えるから簡単にかわせる。試合後とかに映像でそのシーンを見返しても、一瞬のことでパーっと通り過ぎるのに……。何なんだろうね」
これぞ、天賦の才を与えられた者のみぞ知る、特別な感覚なのだろう。
河野のドリブルといえば、緩急を非常にうまく使った、独特のリズムとテンポが実に特徴的だ。その唯一無二のスタイルは、無意識ながら、ユース年代の終盤に確立されたものだろうと本人は振り返る。中学年代までは、勢いに任せて前に仕掛けていた。だが、学年が上がるにつれ、「長い距離を走るとそんなに速くはない。その代わり、30メートル、50メートルぐらいの短い距離とかボールを奪ってからとかがすごく速い」という自身の特長が明確に見えてきたことで、自然と発想は変わっていった。
「1回止まったり緩めたりすると、相手も緩むから。そこから、急にスピードアップしたら絶対に俺のほうが速いし、絶対に抜ける。それに、何より気持ちいいのよ。1回止まって、相手が足を出してきたら、チョンと浮かせて、相手が取りにきたらファフルになるところにボールをコントロールして、かわすとか、最高ですね」。この遊び心だ。決して、「これが俺の生きる術」などと意識していたわけではないという。だが、スタート、瞬発力という他者よりも明らかに長けているストロングポイントを、本能は見事に活用していた。
そしてそれは、自らのためだけにとどまらない。特にプロになってからは、「ドリブルでただバーって行くだけなら、見ている人も『あー、行った、行った』で終わる。けど、止まったりすることで『えっ? そこから何するの?』って、ワクワクすると思うから」。見ている人を楽しませたいというサービス精神にも溢れているのである。
この、自他ともに認める最高の武器。実は、これまでのサッカー人生で二度、その価値観を見失ったことがあった。一度目は、Uー15から選出されていた年代別日本代表においてだった。サッカーを始めてから、常に自分を中心としたチームの中で「好きなようにやれ」と言われ、伸び伸びとプレーをしてきたが、さすがに同世代のエリートが揃う代表チームでは勝手が違った。特にUー19、Uー20とカテゴリーが上がるにつれ、国を背負っていく責任感、求められる“日本らしいサッカー”のスタイルと、自分の得意とするプレーとのギャップを強く感じるようになっていく。そして、「あれ? 俺のやってたことは何だったんだろう?」「でも、このサッカーに合わないと出してはもらえないし」「ここは仕掛けちゃダメなんだ」など、初めての悩みに直面し、混乱状態に陥った。
二度目は2012年、FC東京へ移籍してからの2年間だ。新天地での飛躍を誓っていた矢先に、代名詞である最大の武器の使用を禁じられた。「キャンプから、ドリブルをしたらめちゃくちゃ監督に怒られた。信じられなくて、『何言ってんの?』と思って。でも、どうしても試合に出たかったんです。裏切るような形で出て行っちゃったけど、ヴェルディのサポーターやスタッフの人たちに、『河野、変わってないよ』というのを何としても見せたかった。そのためには、試合に出ないと、プレーすら見てもらえないですからね」。練習でアピールすべく、ドリブルからシュートを決めても、逆に怒られる始末。「俺、どうしよう…」。焦りとイライラばかりが募る中、出した結論は、「もう、パスするか」だった。試合に出るための最終手段だ。
最初は「試合に出たらドリブルしちゃおうかな」と考えていた。だが、それをすると、次の試合ではもう使ってもらえなくなる。いつしか、河野から「一番見せたかった」はずのドリブルが消えていった。
「まさか、ドリブルを忘れるとは思ってなかった。自分のプレースタイルが変わるとも思っていなかった。でもね、不思議だよね。ずっとパスを選んでいたら変わるのよ。ドリブルが出なくなっちゃうんだよね」
自分でも、信じられなかった。これまで、ボールを持てば無条件で感覚が働き、前に仕掛けられていたのに、気がつくと身体が反応しなくなっていた。周囲から「行け!」と言われても行けない。あれほどまでに、相手の動きがゆっくり見えていた自分が、まるで嘘のようだった。「本当に困った」。河野広貴が河野広貴ではなくなりつつあった。
どうしても自分を取り戻したくて、2013年にCEサバデル(スペイン2部)の練習参加を強く願い出た。結果は吉と出た。
「あっちはドリブルがオーケーだから、サッカーがすごく楽しくて。しかもまた、そのドリブルがすごく効いたんです。おかげで、ちょっと調子を取り戻せて、帰ってきてからもドリブルが出せるようになっていました」
その後、2014年にFC東京の指揮官にマッシモ・フィッカデンティ監督が就任したことで、ドリブルも解禁。主力として出場機会が激増する中、守備などもスキルアップし、新しいスタイルの自分にたどり着いた。
周囲から、「プレースタイルが変わった」と囁かれていることはもちろん知っている。先輩たちに守られ、自分のプレーだけを考えて自由気ままにドリブルできていた20代前半の頃とは違うことも、誰より自分が痛感している。だが、失ったものが大きかった分、それと引き換えに得られた財産もまた、実は非常に大きい。
「ペナ(ペナルティーエリア)外からのシュートとかは、何なら今はそれがもう一つの武器と言えるかもしれない。以前ヴェルディにいた時は、そういうゴールをあまり決めてなかったから、点の取り方がちょっと変わったのかなと思う」
「あとは、ドリブルが戻ってくれば、かなりいい」。本人はそう望んでいるが、「足の状態もいいし、最近また、中が空くのが見えてきた。みんながゆっくりに見えてきたから、いい感じ」と、手応えを噛み締めている。ただ、同じ“ドリブル”でも、経験を重ねる中で優先順位が変わってきたことも確かだ。多くのポジションをやったことで、「俺が下りた時に使って欲しいというのがあったから、今は、もし一人で行こうと思ったタイミングでFWが下りてきたら、一度は当ててあげたい。ボールを触っていない選手は、それでリズムができたりすることがあるので」。すっかり大人になった。
一方で、「多分みんなは、前みたいに俺が独力で一人、二人抜くのを見たいんじゃないかな」と、ヤンチャさを期待されていることも重々感じている。
組織としての決まり事が多い永井秀樹監督のサッカーでは、自分勝手なプレーはチームの大きな綻びを生む。だが、「時には、決まったやり方を崩してでも打開しなければいけない時があると思う。そういう時に、出せる機会はあるんじゃないかな」とイメージを膨らませている。
日進月歩、世界のサッカーは常に変わっているが、河野のドリブルへの価値観は今も昔も微塵の変化もない。
「パスなんて、誰だってできるでしょ。でも、ドリブルで、自分一人で行ける人は限られていると思う。もちろん、パスもシュートもそれぞれに魅力はあるけど、ドリブルって、見ていて沸くと思うから、俺はサッカーのプレーではドリブルが一番だと思う」
7月10日から、制限付きとはいえ、いよいよ観客を入れての試合が再開する。
「サポーターもコロナでたくさん我慢しただろうから、我慢した分、楽しませたいなと思います」
「楽しんでほしい」。河野のドリブルは、誰にも負けないプライドとエンターティナーとしての遊び心が詰まっているからこそ、人々を魅了して止まない。