YOUTHFUL DAYS~山本理仁編~
多くのプロサッカー選手を輩出する、東京ヴェルディのアカデミー。
現在所属する選手のアカデミー時代を、秘蔵写真と本人の思い出コメントで振り返ります。
今回は、山本理仁選手のアカデミー時代(2011~18年)です。
2015年
2016年
2017年
2018年
【山本理仁選手、アカデミー時代の思い出】
アカデミー時代の思い出は、“食”にまつわるものが多いです。
ジュニアの頃の話なんですが、小学生年代は練習後の食事がすごく大事なので、練習後はクラブハウスの食堂で食べてから帰ることになっていました。ルールは1プレートで出される食事をすべて食べ終わるまで帰れないこと。当時の僕は食事の好き嫌いがすごく多くて、嫌いなものが多過ぎて、毎日必ずひとつは嫌いな食材が入っていたんです。どうしてもなかなか食べられないから、みんなが帰る中一人だけ帰してもらえなくて、2~3時間食堂に残っていました。ご飯の時間が一番嫌いでしたね(笑)。今はほとんど食べられるけど、当時は無理でなかなか呑み込めなかったです。
中学2年の時にゴシアカップでスウェーデンに行った時には、3学年上のユースの選手もいるチームに飛び級で選ばれて海外遠征に参加したんですが、食堂でドッキリを仕掛けられました。僕はピーマンが嫌いだったんですが、食事に出たパプリカを食べられないでいたら、その様子を見たユースの先輩がブチギレて「やってらんねーよ」と食堂から出ていくドッキリです。それもジュニア時代の僕の好き嫌いをよく知っているコーチが絡んでいたんですが、中学生からしたら高校生は本当に怖い存在だったので、マジで号泣しました。ドッキリとか言われても全然笑えなかった(笑)。その日からゴシアカップでも食事の時間が本当に嫌でした(笑)。今は全然好き嫌いはありませんよ。トマトはまだ苦手ですけどピーマンは食べられます。
ヴェルディS.S.相模原には幼稚園の年長の頃にスクールに通い始めました。小学4年で本体に来たキッカケはセレクションです。お父さんから「セレクション行ってみる?」と聞かれて、ヴェルディとフロンターレを受けて、ヴェルディに受かったので入りました。ヴェルディジュニアだとほしい時にほしいところにパスが来るし、上手いチームメイトとプレーするのがすごく楽しかったです。
僕たちの代は他の代と比べて個性的な選手が多いというのは昔から感じていました。キャラクターが全然かぶっていなくて、色々なタイプがいて面白かったです。主要な大会で勝負弱くてタイトルはとれなかったけど、ある程度の大会では勝てたから強いチームという認識がありました。ヴェルディはプロが身近にあるから、ジュニアの頃にユースの試合を見て、そこで活躍した先輩がプロで活躍して海外に移籍したりするのを見て、自然とプロの世界を意識させられるチームだと思います。