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2019.11.16

オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(11/16)井上潮音

第20回 井上潮音

 

 

『自分の目指すべき未来像をイメージできたジュニア時代』

 

文=上岡真里江(フリーライター)

 

理想を絵に描いたような育成時代を過ごしてきた。

 

幼稚園生の頃、ワールドカップが日本で行われた。2002年の日韓W杯を見て、ロナウドやロナウジーニョを擁するブラジル代表に魅せられ、サッカーを始めた。本格的にスクールに入ったのは小学1年生の時。以後、4年生まで地元のサッカーチームに通い続けたが、監督と親の勧めで東京ヴェルディジュニアのセレクションを受けることとなり、見事に合格した。

 

「地元のチームに仲がいい友達もいたし、僕としては新しい環境に行くのがすごく嫌で、最初は嫌々行っていましたね。でも、今思うと、あの時にヴェルディジュニアに入ってなかったら、自分はプロにはなれていなかったと思います。小学5年生という段階で加入できたのも、僕にとってはすごく大きかった」

 

始めこそ、あまり気は進まなかったとはいえ、それぞれセレクションで選ばれて集った新しいチームメイトたちはみんな精鋭揃い。やりがいを見出すまで、多くの時間は掛からなかった。周りにはジュニアユース、ユースと、上のカテゴリーの先輩たちが身近にいた。さらにトップチームにもつながっているヴェルディの環境は、自然と自分の目指すべき未来像をイメージさせてくれた。「ここでプロになりたい」――。

 

 

決して体格に恵まれていたわけでもなかったが、フィジカルではなく、テクニックを重んじるヴェルディアカデミーのサッカーに、井上の才能は見事にマッチした。


「体は小さくても、周りのみんながうまいから、自分も生きていました」


ユース時代の監督でもあり、のちにトップチームでも指揮を執った冨樫剛一氏は、「どんなに芝が荒れていても、潮音の周りだけは真っ平らなんじゃないかと思わせるほど、ボールの扱いがうまい」と特長を表現し、試合で重用した。それは他のカテゴリーでも同様で、常に中心選手の一人として試合に起用され続けてきた。


井上自身、改めてアカデミー時代を振り返ってみても、試合に出られなかったという記憶は「ほとんどない」という。「高校1年生の最初に、途中から出ることが多くて悔しかったぐらい」。U-17日本代表を皮切りに各世代別の日本代表にも選出され、まさに“超エリートコース”を一心不乱に突き進み、プロの世界へと飛び込んだ。


挫折を知らない者は、いざ壁にぶつかった時、実に脆い。ほとんど辛酸をなめたことのない22歳にとって、プロの世界は厳しかった。


それでも、1、2年目はまだ良かった。それぞれ出場試合数は12試合、17試合に留まったが、いずれもケガによる長期離脱が原因だったため、本人も「仕方がなかった」と受け止めている。それ以上に、「試合に出たら『やっぱりできるな』と自信を深めることができた」と前向きに捉えていた。


だが、プロ3年目の2018シーズン、人生初の大きな壁が立ちはだかる。開幕からしばらくはレギュラーの一角として先発出場も多かったが、第16節(5月26日)の愛媛FC戦でベンチメンバー外になったことを機に出場機会が激減した。


「どこもケガをしていないのに試合に出られないという状況が初めての経験で、気持ちの持っていき方が分からず、本当にキツかったです」


初めて味わう屈辱に、「ふて腐れて、腐りそうになりました」。試合翌日に行われるメンバー外選手の練習では、思いどおりのプレーができなければ声を荒げ、シュートを思い切り蹴り飛ばすなど、やつあたりな態度が出ていたと自分でも分かっていた。当時の監督は、指揮を執って2年目のミゲル アンヘル ロティーナ氏。前の年には公の場で「潮音は、我々にとってのリオネル・メッシだ」とまで宣言していたほど、ポテンシャルを高く評価していたが、扱いが大きく変わってしまった現実に井上は「なんでだよ!」、「使ってくれないほうが悪い」と監督や環境のせいにしたこともあった。たとえ周囲から「試合に出ていない今の時間が一番大事」だと諭されても、「試合に出る以上にいいことはない!」と、聞く耳すら持てない自分がいた。


一方で、それがいかに間違っていたか……。


「結局は、自分のパフォーマンスだったり、取り組み方を監督が見た上での判断なんだ」。冷静になればなるほど、それが理解でき、次第に周囲の助言にも耳を傾けられるようになっていった。そして「もう一度、謙虚になろう」と自分に言い聞かせ、リスタートを決意すると、さまざまなものが見えてきた。何より感銘を受けたのが、苦労してきた先輩たちの弛まぬ努力の姿勢だった。


「ウチくん(内田達也)や奈良さん(奈良輪雄太)、梶くん(梶川諒太)は、試合に出ている、出ていないに関係なく、すべてのことに対して本当に何一つ手を抜かない。それを見た時に、『あれほどの先輩がやっているんだから、自分もやらなければいけない』という気持ちにさせられました」


そうした意識や取り組みの改善を、熟練監督が感じないわけがない。10月後半の、プレーオフ進出争いが佳境になった大事な時期に、スタメンを勝ち取ることに成功した。「去年のあの経験のおかげで、苦しい時でも続けることが大事だと学びました。すごくいい経験になりました」。


とはいえ、今シーズンも決して“不動のスタメン”とは言えず、本人も、完全に壁を乗り越えられたとは思っていない。


これまで、“天才”と賞賛されていた何十人ものアカデミー出身の先輩たちが、プロに入って大成できず、埋もれていった姿を見てきた。その度に、「あんなにうまいのに何でだろう?」と疑問に思っていた。それが今、自分が当事者になりつつある。「プロはうまいだけでは出られない」。初めて、その難しさを痛感している。


「何とかここまで来ることができましたが、ここからさらに上へ行くには、自分がもう一皮剥けるしかない。J2の、ただちょっとうまいだけの選手で終わるのか、“いい選手”になって、J1で活躍して、日本代表に入って、その先を広げていけるのか。それは、移籍したら変われるとか、そういことではない。すべてはここでの自分の取り組み方に詰まっていると思います」


思い描く理想の未来像は“日本代表”、そして“ワールドカップ出場”だ。幸いにも、今の日本代表で活躍中の中島翔哉(FCポルト)、畠中槙之輔(横浜Fマリノス)、安西幸輝(鹿島アントラーズ)はみな、ヴェルディのアカデミー出身。井上にとっては年齢も近いため、アカデミー時代は何度も同じチームでプレーし、ごく身近な存在だった。


彼らと自分との違いはどこだろう?冷静に比較してみると、答えは明白だった。


「幸輝くんや翔哉くんは本当に負けず嫌いで、その気持ちの強さを練習中からずっと出していた。それにあの人たちは、本気で『こうなりたい』と強く思っていた。それが、自分にはまだまだ足りていない。僕はまだ口で言っているだけだと、自分で分かっています」


これまでは才能だけで通用してきた。だが、その時期はすでに終わった。ここからの道は、自らの手で切り開いていくしかない。


「思ったことを行動に移せていなかった今までの自分から、変わった自分を見てみたい。その時、どの位置にいるんだろうと思うと、自分で自分が楽しみです。本気で変わってく姿を、ぜひ、ファン・サポーターの皆さんにも見ていてほしい。そして、それを見守ってくれたらうれしいです」


スマートな井上潮音から、ギラギラ感が漂う井上潮音へ。変革を誓う、本気の井上潮音に乞うご期待!