『このチームでプレーできることを誇りに思っている』
Player's Column
いま、忘れかけていた感情が、心の底から蘇った。
「サッカー、楽しい!」
ジュニア時代以来、約10年ぶりに戻ってきた東京ヴェルディで、木村勇大は充実の日々を過ごしている。
大卒2年目。「勝負の年」との覚悟をもって古巣移籍を決断した。
関西学院大学在学中の2021年、2022年から特別指定選手として京都サンガF.C.でプレーした大型FWは、「1年目からバリバリ京都で試合に出て、点を決めまくる」自らのルーキーイヤーをそう思い描いていた。だが、現実はまったく違うものとなった。
そのプロ1年目の昨季、開幕スタメンを勝ち取ったが、前半で交代。以後、メンバーから外れることも多く、出場しても途中からという試合がほとんどだった。
「もっとできるのに、なんで起用してくれないんだろう?と、矢印が外に向いてしまって。自分で改善できるところは改善しようとも思ったのですが、どうしても難しく、違う環境に進むことを選びました」
8月16日、ツエーゲン金沢への育成型期限付き移籍が決まった。
「他にもいろいろ選択肢はあったのですが、一番厳しいところに行こうと思って、金沢を選んで行きました。想像以上に厳しかったです」試合にこそ出続けられたが、最終的に10試合出場で1得点。チームもJ3降格と、個人としても、チームとしても結果を残すことができなかった。それでも、「間違った選択ではなかった」と、木村は確信している。「チームの仲間やいろいろな人たちがすごく温かく迎えてくれて。何より、金沢に行って試合に出る喜びを思い出させてもらえました。1年目はすごくしんどかったですが、これから先、長い目で見たら、そういう1年があった方がよかったんじゃないかなと、今は思っています」
この悔しさを味わっているからこそ、「プロ2年目ですが、結果を出さないとダメな年だと思っています」と、危機感と同時に、“ゴール”という目に見えた形で結果を出すことへ徹底的にこだわるのである。
その決意が早々に形に現れた。第2節浦和レッズ戦、コーナーキックからの流れで、浮いたルーズボールに反応し、ペナルティーエリア中央から強烈なボレーシュートを突き刺した。後半に同点に追いつかれたため、残念ながら決勝ゴールとはならなかったが、勝点「1」を記録する、価値あるゴールとなった。
さらに第3節セレッソ大阪戦では、0−1のビハインドから、ロングボールに抜け出し、染野唯月と相手GKが競ったこぼれ球を押し込んで2試合連続得点。京都、金沢と、これまで序盤はチャンスを与えられながらも、そこでFWとしての仕事を果たせなかった反省を、見事に成長へとつなげてみせた。
ここまで開幕からすべてスタメン起用され、3試合2ゴールと個人としては最高のスタートを切ったと言っても過言ではない。その要因として、一番大きいのが、「チームのサッカースタイルが、自分にすごく合っていること」だという。
「『まず前』という意識が強い中で、パスを出せる選手も多いので動きやすい。とにかく全員の技術レベルがすごく高いので、パスが出てくることを信じて動き出せるので、本当にやりやすいです」。逆に、他の選手にとっても、身長184cmの木村勇大が最前線でターゲットとなりボールを高い確率でおさめてくれるため、出しやすいのである。
また、2トップで相棒を組む染野唯月の存在も非常に大きい。「木村の得点のところには、必ず染野がいる。染野が潰れたり、起点になったり、ハードワークすることで、相手選手の選択肢がなくなって、そこからボールが奪えている」と城福浩監督も背番号『9』の存在の大きさを讃える通り、万能型の染野が近くにいてくれることで自らの持ち味がより一層引き出されていることを、木村自身も実感している。
「ソメ(染野唯月)は去年からいて、チームのコンセプトもすごく理解しているので、キャンプの時からいろいろ聞いたりして、コミュニケーションを取りながらやれています。全ての能力が高いから、相手の意識も分散するので、そこもすごいやりやすいですね。なので、攻撃においても守備においても、本当に参考になっているし、すごく良い関係性でやれていると思う」。試合を重ねるごとにさらに深まっていく今後の若き2トップの連係が非常に楽しみだ。
一方で、結果が出ている要因は「チームのサッカースタイルが合っていた」だけのはずはない。木村自身も城福監督のスタイルにアジャストすべく必死で課題と向き合ってきた。「守備を第一に大事にするチームなので、今まで守備はまったく得意ではないし、好きではなかったのですが、チームのためにハードワークするというところは、これまで以上に意識してやっています。というのも、城福さんのサッカーは、たぶん守備に目が行きがちだと思いますが、それは全て攻撃のための守備。そう思うと、ヴェルディに来てからは、難しさはもちろんですが、守備の楽しさ、やりがいみたいなものを少しずつ感じられていることが、僕にとってはすごく大きい」。京都時代から求められ続けてきた守備の課題が、一転し、ポジティブに取り組めていることこそ、大きな変化と言えよう。
184cm、81kgのフィジカル、ボールキープ力、足元の技術と、小さい頃から才能に恵まれてきた印象を受けるが、実は決してそうではない。ヴェルディジュニアに在籍した小学生時代は背が高かったが、中学では、周囲の成長期の方が早く、「クラスでも真ん中よりちょっと高いぐらいで、小さくて細かった」という。足の速さも、50m走の記録が小学校5年時と中学3年時の記録が同じというほど。小学校でできたプレーが、中学校では全然できなくなるという苦境に直面しているのである。「あの時は中学生なりにいろいろと考えプレーしていましたね。だから、今のプレースタイルは全く違います」。その後、高校生になって成長期を迎え、再び身長が伸びて現在のプレースタイル確立へとつながっていくが、今にして思えば、その中学時代にフィジカルに頼らず、自分より体が大きくて強い選手にいかに勝つかを必死に“考える”時期があったことこそが、プロになれた最大の要因だと痛感している。
プロの世界に入ってからも、かけがえのない先輩と出会ってきた。最も大きな影響を受けているのが、京都時代に出会ったピーター ウタカ(現ヴァンフォーレ甲府)と李忠成氏だ。「ピーター ウタカは、特別指定の時に一緒で、スパイクをくれたり、すごい可愛がってくれました。彼は、能力はもちろんですが、それ以上にめちゃくちゃ考えていて、ディフェンスの視野から消える動きや、背後の抜け方など、僕自身まだまだ実践できていない部分もたくさんありますけど、今の僕のプレーに生きる、本当にいろいろなことを教えてもらいました。
李忠成さんからも教わったものがすごく大きかったです。特に李忠成さんは、言葉にするのがめちゃめちゃ上手いので、アドバイスが本当にわかりやすくて。今でも連絡をくれて、僕のプレーを見て『ここをこうした方がいいよ』と的確なアドバイスをくれて、マジでありがたいです」。2人の偉大な先輩との出会いこそ、京都在籍で得られた最大の収穫だ。
そうした先輩との出会いも含め、これまで味わった挫折、屈辱、喜び、感謝、その全てが今の自分を作り上げているのだと、充実感に満ちている今だからこそ、純粋に受け止められる。
わずか1年弱という短い期間だったが、小学生時代にアカデミーで「上手すぎる」と衝撃を受けた同級生の森田晃樹、綱島悠斗、1歳上の谷口栄斗、2個上の深澤大輝らと再びチームメイトとなり、ヴェルディグラウンドで共にボールを蹴ることで、一気に初心に立ち返った。
「やっぱり、僕の中ではここで育ったという思いが強いです。居心地がいいと言いますか、サッカーの楽しさ、サッカー選手としての喜びを、ヴェルディに戻ってきてから思い出すことができています。このクラブに戻ってこれたこと、しかもそれがJ1の舞台であることがものすごくありがたいですし、このチームの選手としてプレーできることをものすごく誇りに思っています。今、本当にヴェルディに来てよかったなと思っています。
今は自分の全てはヴェルディにあると思っているので、ヴェルディのためにこれからも自分の全てを出して、チームを勝利に導けるように頑張りたいです」
ついに居場所を掴んだ木村。頼られる喜びをパワーに、チームを勝利に導くゴールを量産していく。
<深掘り!>
Q:ルーティーンやげん担ぎは?
A:試合前に限った話では、去年まで、前日には絶対にちゃんとケアを入れるとか、食べるものはこれとか、毎日しているストレッチ、スタジアムに向かうバスの中で聴く音楽はこれとか、実はいろいろあったのですが、全部やめました!というのは、なんか、今年の開幕戦で、そういうのを全部忘れてて(笑)だったら「もういいや」ってなりました。
唯一、なんとなく続けていることが、試合当日だけ、スニーカーや靴下、スパイク、履くものだけは左から履く。それぐらいですね。
試合に関係ないところでいうと、ヴェルディに来て、練習後のジョグと腹筋というメニューを始めました。きっかけはダイエットです(笑)キャンプ前、ちょっと太ってて、奈良輪雄太コーチから「痩せろ」と言われて。「このメニューを毎日やれ」とナラさんが現役時代に毎日やっていたメニューを授けられたので、なんかやめられなくなって、今でも毎日やっています。あれをやり出してから、コンディションを含めて、体重管理とかもすごく良い方向に向いてる気がしていて。疲労の感じも、試合にもいい感じの疲労感でやれているので、これからも続けていこうかなと思っています。
ポジションとかプレースタイルは違いますが、ナラさんは長く現役をやっていた選手。そういうところに秘訣があると、ナラさん本人も言ってたので、自分も長く活躍できる選手になれるように、真似できる部分はぜひやりたいなと思います。
(文 上岡真里江・スポーツライター/写真 近藤篤)