オフィシャルマッチデイプログラムWeb連動企画(4/20)小池純輝
第6回 小池純輝
『思い出させてくれた高校3年の春』
文=上岡真里江(フリーライター)
「苦しい時こそ前進している」
「好きな言葉は?」と聞かれるたびに、小池純輝はこう答えている。その言葉と出会ったのは、プロとして浦和レッズに加入して間もなくのことだった。同期加入の坂本和也の部屋に、額に入れて飾られていた。「すごくいい言葉だな」と胸に突き刺さったのは、その少し前に、人生を分かつほど苦しんだ時期を乗り越えたからだった。
浦和レッズユースに入り、本気でプロを目指すようになった。日に日にトップ昇格への気持ちが高まっていく中で、高校2年生時に厳しい壁が待っていた。
「1年生の頃は普通に出られていたのに、2年になって、試合に出られない時期が長く続いていた。そんな状況でも、さらにいい選手はトップチームの練習に参加していたり、選ばれた何人かだけがオフの月曜日に呼ばれて筋トレをやったりしていた」
当然、試合に出ていない小池はその中には入っていない。
「みんなが呼ばれているのに自分だけ呼ばれていないということは、この先も試合には出られない。この時期に試合に出ていなかったらプロ(の可能性)はない。ミスをした時には、『今これができていなかったらプロにはなれない』など、プロになりたいがゆえに、どんどん自分を追い込んでしまっていました」
すべての基準が“プロになるため”。サッカーがうまくいかないことで、学校生活も私生活もすべてがつまらなくなり、「すっごく苦しかった」――。
そんな小池を救ったのは他でもない、自分自身だった。
高校3年生を迎える直前、ふと立ち止まる瞬間があったという。ユース生にとっては、高3の夏までに大方トップ昇格の是非が決まる。「あと半年しかないな」と思った時、「なんでサッカーをやっているのかな?」と改めて自問自答してみた。
「サッカーが楽しくて続けてきたはずなのに、その時の自分は、『プロになれないと意味がない』ぐらいの思考になっていて、シンプルにサッカーを楽しめていなかった。本当に、サッカーが全然楽しくなかったんです」
そのことに気付いた瞬間、「もう半年しかないんだから、楽しくやろう!」と、開き直りを決意した。
この、発想の転換こそが、命運を大きく変えることとなった。
高校3年になり、もう一度サッカーを楽しむことに専念したことで、不思議とすぐに結果がついてきた。すでに同級生の西澤代志也、堤俊輔のトップ昇格が決まっていた中、急成長を見せ、首脳陣の目に止まった小池を含む2人だけが夏休みの1ヶ月間、最終テストのためにトップチームの練習に参加することになった。
結果、小池のみがトップ昇格した。「本当に最後の最後、ギリギリで滑り込んだという感じでした」。
最初から、「とにかくプロにさえ入ってしまえばこっちのもの。あとは自分が頑張るだけ」だと覚悟を決めていた。実際にプロ入りしてからも、決して順風満帆なサッカー人生ではなかった。ここまでのキャリアの中で、「シーズンをとおして、ずっとレギュラーで出続けたことはなかった」と自ら認める。
それでも12年という長きにわたり現役を続け、通算300試合以上の出場を記録できているのは、トップ昇格に至るまでの、どん底からの成功体験があったからだ。
「試合に出られない時やうまくいっていない時って、『なんでだろう?』と考えたり、自分と向き合ったりするものです。考えた末、新しいことを始めてみたり、継続して何かをトライしてみたりなどの行動になっていく。そうした自分にベクトルを向けることが、あの高2、高3の経験からできるようになったことは本当に大きいと思っています。その時間が自分を成長させるのかなと思う。まさにあの言葉、『苦しい時こそ前進している』。大人になった今、さらに、すごくいい言葉だなあと思います」
「俺、何でサッカーをやっているのかな?」
思い返せば、ターニングポイントとなった自分自身への問い掛けについて、小池は「プロになりたい。だけど、それには届かないかもしれない。ずっとそこを目指してサッカーをやっていたのに、そうなれない自分を想像するのも怖くてすごく苦しかった」と当時の葛藤を吐露する。
「あまりに苦しくて、『楽しんでやろう』と思うことによって、ある意味、そこから解放されると思ったんじゃないですかね。逃げたのかもしれないです。大学に行って、自分のやりたいことを見つける人も多い中、僕の場合は、やりたいことがずっと固まってしまって、『どうしてもなりたい』とあきらめられなかったので苦しかったのかなと思います」
だが、中には、大学などに行き懸命に探しても、本当にやりたいことが見つけられないまま人生を過ごしている人も決して少なくないはず。そう考えれば、子どもの頃から本気で将来の夢が定まっていたことは、ある意味最高に幸せ。その一意専心な努力こそが、夢の実現をたぐり寄せたと言えるのではないだろうか。
『純輝』の名前のごとく、「サッカーを楽しむ」という“純”粋な心が根底にあるからこそ、プレーヤーとして、また人間として“輝”く。これからも、そんなサッカー人生を歩み続けていく。