『YOUTHFUL DAYS』vol.7 マテウス
『YOUTHFUL DAYS』vol.7 マテウス
プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。
取材・文=上岡真里江
父の影響で名門コリンチャンスのアカデミーへ
今でこそ、ブラジルの子どもたちの娯楽はゲームやYouTubeが主流になりつつある。しかし、ひと昔前の『サッカー王国』において、子どもたちの生活の一部として常に存在していたのは“サッカー”だった。
1993年、ブラジルのサンパウロで生まれたマテウス・カルデイラ・ヴィドット・ド・オリヴェイラは、SCコリンチャンスの大のサポーターである父の影響で、物心がついた頃には自宅マンション下にある小さなグラウンドでサッカー漬けの毎日を送っていたという。
「お前は下手くそだから、フィールドプレーヤーは無理だ。サッカーをやりたいならGKになれ」。そんな父の言葉に従い、迷いなくGKに専念した。遊び相手は近所に住む5〜6歳年上の子どもたち。「毎回強いシュートを打たれて、それが顔面に当たって、鼻血を出して家に帰ることがしょっちゅうだった。でも、それを嫌だと思ったことは一度もなかった」。とにかく当時から、ゴールを守ることが大好きだった。
最初にクラブチームに入ったのは9歳の時。地元の街クラブだった。決して強いチームではなかったせいもあったのだろう。マテウス少年は失点するたびに泣いていたという。
「1点取られるだけで、もう悔しくて…。怒って、その場で泣き始めていました。ゴール裏にいるお父さん、お母さんに、いつも『落ち着いて! 落ち着いて!』と言われていたのを思い出します」。中でも、ある大会でコリンチャンスのジュニアユースチームと対戦し、1ー11の大敗を喫した日のことは忘れられない。そんな当時のチーム状況もあってか、練習を見に来ていた親御さんたちは、子どもたちを元気づけようと練習後にミニゲームを行い、終わったらグラウンドに飴を投げ入れるというフェスタを催してくれた。それも、今ではいい思い出だ。
12歳になると、父の計らいで名門コリンチャンスのセレクションを受けることになった。世界が大きく変わったのはそこからだ。サンパウロ州には、他にもサンパウロFC、SEパルメイラスなどのビッグクラブがあったが、どのアカデミーも規模が小さく、大会参加もままならない状況だった。そのため、本格的にサッカーをやりたい子どもたちはみな、コリンチャンスに入りたがったという。そして、マテウスは見事セレクションに合格した。
父の影響ですっかりコリンチャンスのサポーターになっていたマテウスにとって、大好きなクラブのアカデミーに入れたことは何よりうれしかった。ところが、いざ練習が始まると、そのうれしさは一気に消え失せることになる。
https://verdy.s3.ap-northeast-1.amazonaws.com/image/page/38073_720x472_6104bd98be49f.jpg
「日本人では、きっと想像もつかないと思う。それぐらい練習自体も厳しかったですし、年齢に関係なくプロと同じような要求をされ、厳しく言われることも多かった」
それでも、いつしか芽生えていた「プロになりたい」というモチベーションが、厳しい練習に耐える原動力になった。過酷ではあったが、各カテゴリーで出会ったコーチたちの素晴らしい指導によって、GKとしてのスキルを着々と身につけていった。
「簡単ではないが、それに値する大きな喜びを得られる」
本人によれば、「14歳ぐらいまでは自分のスタイルについて探り探りやっていましたが、15歳ぐらいからは今のスタイルを貫いている」という。もちろん、「プロになってから成長した部分が大きい」とはいうが、現在のプレーのベースにある足元の技術や正確なフィード、シュートストップの能力やミスの少なさは、すべてアカデミー時代に培ったものだ。
2012年に念願のトップチーム昇格を果たし、2013年にはU-20代表、2016年にはU-23代表にも選ばれた。しかし、プロに入って何年もベンチ生活が続く状況はあまりに苦しかった。常勝を求められるチームの練習は常に緊張感が漂っていた。そんな要求の高さやプレッシャーの大きさの中で自身の成長を実感することはできたが、「高いモチベーションを保つことは決して簡単ではなかった」という。2019年、27歳になる年に、14年間過ごした大好きなクラブを自ら去る道を選んだ。
そして2020年、東京ヴェルディに加入することになった。日本でのプレーはもちろん初めてだったが、日本に来て「大きく変えたことはない」という。幼い頃からコリンチャンスで築き上げてきた自分のまま、自信を持って勝負できていることは大きな喜びだ。また、来日2年目の今季は、「この国、このチームに順応するために努力してきたことで、昨年よりも明らかに良い状態にある」と、さらなる成長も実感できている。
一方、異国の地・日本で過ごすことで、人間的な部分には大きな変化を感じている。
「日本人からは、日々『リスペクト』を感じている。人に対するリスペクトだけでなく、国が定めたルールなどもリスペクトして行動する。そんな姿を間近で見ていると、自分もブラジル人として、学んでいかなければいけないと思うようになった」
これまでのキャリアを踏まえ、子どもの頃の自分に伝えたいことがあるという。それは「簡単ではないぞ」ということ。そして、「でも、それに値する大きな喜びを得られるから、(もし子どもに戻ったとしても)自分は同じ道を選ぶだろう」ということだ。プロサッカー選手、ゴールキーパーはそれほどまでにやりがいがあり、誇らしい職業なのである。
「GKを辞めたいと思ったことは、100万回ぐらいあるよ(笑)」。マテウスはそう言ってイタズラっぽく笑う。そして、「ミスが失点に直結するポジションなので、ミスをした時はどうしてもネガティブになって、今でも『俺、やっぱり上手くないなぁ』と思ってしまうことがある」と正直な胸の内を明かした。
それでも、プロの世界を目指す子どもたちにはこんなアドバイスを送る。
「才能がある人よりも、練習をした人が大きな成功をつかみ取れると思う。自分を信じて、しっかりと夢に向かって頑張るということが何よりも大切だと思います。とにかく練習することが一番大事です」
子どもの頃、失点するたびに泣いていた姿が象徴するように、マテウスという選手は、誰よりも自分に厳しい。時には「自分に対して怒りを覚える」ほどだ。簡単に「優勝する」とか「チャンピオンになる」とか、そんな言葉を口にしないタイプだ。それでもサポーターにはこう誓う。「毎日毎日、1試合1試合、常に100パーセントで挑み、次の試合や次の日のことを考えて準備をしている。その姿勢はこれからも絶対に変わらない」
誰からも信頼されるGKへ。理想の守護神への挑戦は、まだまだ続く。