『YOUTHFUL DAYS』vol.20 杉本竜士
プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。
取材・文=上岡真里江
大きな転機となったシンガポールへの引っ越し
2011年、高校3年次に主将としてヴェルディユースを率い、『adidas CUP 2011 第35回日本クラブユースサッカー選手権(U-18)大会』で優勝し、大会MVPに輝いた杉本竜士も、今年で28歳となった。
ユースからそのままトップ昇格を果たし、プロとして10年の月日を経たが、その間、名古屋グランパス、徳島ヴォルティス、横浜F・マリノス、横浜FC と、いくつものチームを渡り歩いてきた。「けっこう移籍もしてきましたけど、今まで選択を間違ったとか、あの時こうしていればよかったなと思ったことは、『絶対にない』と言えます」。自身のサッカーキャリアに後悔など微塵もないと、キッパリ断言する。
それは、幼少期からの人生についても同じだ。「外で遊ぶのが大好きで、学校の休み時間も、絶対に外で運動していた」という少年時代。サッカーとの出会いは3歳ぐらいの頃だった。二つ上の兄が始めたのを機に、幼稚園で行っている同じサッカー教室に入会した。“遊び”がメインの、決して本格的なものではなかったが、それでも幼心には「サッカーって楽しい」との思いは十分に刻まれた。
幼稚園から高校まで一貫校だったため、小学校に上がってからも、自然とそのまま同じ教室に通い続けていた。転機が訪れたのは小学校1年生の途中。父親の仕事の転勤に合わせ、シンガポールへと引っ越すことになった。
シンガポールでも、サッカーは続けた。5つぐらいしかない日本人のサッカーチームに2つ、多国籍のチーム1つの、合計3チームに所属したが、それぞれで楽しんだ。中でも刺激的だったのが、日本人チームの一つで、現在のベガルタ仙台の前身・ブランメル仙台(当時JFL)でプレーした後、シンガポールリーグに所属していた伊藤壇氏(現クラーク記念国際高等学校サッカー部監督)らがコーチをしているチームだった。
「そこは壇さんと、もう一人、シンガポールリーグでプロとしてプレーしていた田中洋明さんが教えてくれるというチームで、プロの人から教わったり、そのコーチが試合の時はスタジアムに見に行ったりもしていました。今にして思えば、レベルは日本よりは全然下だったし、“緩く、楽しく”という感じでしたが、やはりプロの上手い人から教わったことはすごく勉強になりました」
ちなみに、田中氏は読売ユース出身。その後、1997年から2000年まで東京ヴェルディでプレーしている。その後の杉本も同じ経緯を歩むことを考えると、不思議な縁である。
そして、小学校4年生になるタイミングで日本に帰国した。学校は以前と同じ学校に通ったが、サッカーチームだけは、「もう少し真剣にやりたい」との思いから、地元であり、全国でも“強豪”として知られている『府ロクSC』へ通うことを決めた。