『YOUTHFUL DAYS』vol.11 梶川 諒太
プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。
取材・文=上岡真里江
物心つく前から備えていた『根気強さ』
プロサッカー選手に必要な資質とは、一体なんだろうか? 洗練された技術力、フィジカルの強さや大きさなどの身体能力、俯瞰力、思考力……。国内外問わず、栄華を極める多くのスター選手からは、パフォーマンスやプレースタイルに直結する能力の高さが強く連想される。その中で、梶川諒太からは『根気強さ』もまたそのひとつであると強く感じさせられる。
梶川自身も、それこそが11年もプロの世界で生き延び続けられている最大の要因だと自負しているが、実はこの気質は、物心つく前からその身に備わっていたようだ。
「1人目が男の子やったんで、2人目は女の子が欲しかったらしいんです(梶川)」という母親のイタズラ心だったに違いない。幼少期の頃のアルバムには、髪の毛を結ばれてうれしそうに笑う二男・諒太の愛らしい写真が何枚も残っている。そんな可愛らしい外見の一方で、行動は好奇心旺盛のやんちゃ坊主そのものだった。「工事現場とか工事車両とかが大好きで、一度こんなことがあったそうです」。大きくなってから母親から聞いたエピソードだ。
「まだ歩き出したばかりの頃、5歳上の兄が玄関か庭のドアのカギを開けた隙に、僕がそこから脱走したことがあったらしくて。で、周りを探しても見つからないし、待っていても全然帰ってこないので、捜索願いを出すことも考えていたところ、見つかったのが近くの工事現場。そこでずーーーっと工事を見ていたそうなんです。その時、母親が工事現場の作業員の方から、『すごい根気強い子やね。もう2時間ぐらい見てたよ』と言われたそうです」
まだ幼なすぎて、当時の記憶は梶川にはない。だが、だからこそ、興味を引かれたものに一心不乱に熱中できる性格が“本能”であることをより象徴しているのではないだろうか。
人生を懸けるまでになる興味の対象『サッカー』と出会ったのは4歳だった。兄が始めた地元クラブの試合を見に行った際、コーチから「一緒にやってみる?」と誘われ、一瞬にしてハマった。そこからは、サッカー漬けの日々が始まった。
「練習以外でも、家で壁にボールを当てたり、リフティングをしたりして、ひたすらボールに触っていました」
ここでも、梶川の努力家っぷりが遺憾なく発揮された。「小学校に入るまでにリフティング100回できたら、Tシャツを買ってあげるよ!」というコーチの誘いに、4歳児の心は純粋に燃えた。そして、「朝から夜までずーっと練習し、幼稚園の時に100回達成しました」。見事にTシャツをゲットしたのだった。