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2021.11.25

『YOUTHFUL DAYS』vol.14 佐藤凌我

『YOUTHFUL DAYS』vol.14 佐藤凌我

プロの厳しい世界で戦う男たちにも若く夢を抱いた若葉の頃があった。緑の戦士たちのルーツを振り返る。

取材・文=上岡真里江

 

強くないチームで得た経験値を足がかりに…

 

甘いマスクいっぱいに溢れる爽やかな笑顔、前向きな発言、一心不乱にゴールを目指す姿勢。佐藤凌我には『天真爛漫』という言葉がピタリとはまる。小学生の頃からJリーグクラブ傘下のアカデミーに所属し、そのままストレートでトップチームに昇格を果たすというような、いわゆる“エリート”のレールを歩んできたわけではない。だが、小・中・高校、大学と、たどってきたそれぞれの環境の中で、授かった才能を輝かせ、自らの力でプロ入りの夢を実現させた。

 

佐藤にはひとつ上の兄がいる。4歳の頃、自身の母と兄の同級生の母親たちの要望により、通っていた幼稚園にサッカーチームが立ち上げられた。それがサッカーキャリアの始まりだった。

初代の年長組(ふたつ上の代)が小学校に上がるとともに、そのまま同チームの“小学生の部”が誕生。佐藤も当然のように、小学校入学後も続けて『FC龍南』に所属した。ただ、まだできて間もないチームである。特に初代のふたつ上は2~3人、そのひとつ下の代は5~6人と部員数が少なく、佐藤が4年生の頃には、常に上の年代の試合に出ているような状況だった。4年生と6年生とでは体の大きさが明らかに違う。「本当にボロ負けすることも少なくなくて、0対25で負けたこともありました」。今でも決して忘れることのない、苦い思い出だ。

 

それでも、仲間たちと一緒にやるサッカーは楽しかった。さらに幸いなことに、早くから試合に出られた分、自身の代が6年生になると、徐々に勝てるチームになっていた。

 

中学校に上がるタイミングでアビスパ福岡アカデミーのセレクションを受けたが、三次で不合格。他のクラブチームに行くという選択肢もあったが、ずっと一緒にやってきた兄がすでに中学校のサッカー部に入っていたため、後を追って福岡市立次郎丸中学校のサッカー部に入部することを選んだ。一番の理由は、「親のことを考えて」だった。「兄と僕、部活とクラブチームと2つに分かれてしまったら、土・日で試合が絶対にかぶるから親が大変じゃないですか」。それは、試合の送り迎えや応援、当番など、世話をかけている両親への感謝の心があるからこその選択だった。

 

入部したチームは強くなかった。「福岡市に中学校が100校ぐらいある中で、2校だけ市の大会にすら出たことがなくて、ウチの学校がそのうちの一つでした」。だが、今にして思えば、実はこの環境こそが大事なターニングポイントだったと佐藤は受け止めている。

 

小学生の頃から背が高く、年上との試合に出続けていた経験値は中学でも十分通用した。まして、レベルの高くないチームである。1年生の時から3年生の試合に出ることができた。その活躍によって、福岡市のトレーニングセンター(トレセン)メンバーに選ばれるようになったのだが、中学校の部活、つまり“中体連”から選ばれていたのは、佐藤を含めても2~3人。「『中体連でも、これくらいできる奴がいるんだ』という感じで、目立つことができたんだと思います。もしあの時にクラブチームに行ってしまっていたら、逆に周りのうまい選手に埋もれてしまって、今の自分があるかと言われたら、そんなに自信はないです」

 

中学2年生の終わりには、人生を決定づける出来事が待っていた。福岡県トレセンの選考会の場で、高校サッカー界の強豪・東福岡高校のコーチに声をかけられたのである。これまで、小学校ではチームを立ち上げた幼稚園の先生がコーチ、中学校では社会科の顧問の先生が練習後にちょっと顔を出す程度と、専門的な指導を受けたことがなかった。それだけに、そこで初めて“サッカー選手としての未来”を現実のこととして考え始めた。「本当は、近くの公立高校を受験するつもりでした。でも、もしかしたら次のステージがあるのかもしれないと思えたんです」

実は、佐藤にはもう一つ面白い経歴がある。小学6年生の時、福岡県が行っている『タレント発掘・育成プログラム』の一員として活動していたのである。そのプログラムは中学生の頃から体力測定やさまざまな競技を体験させ、その子どもに適性のある競技を見つけて早くから専門指導を提供することで、福岡県から五輪選手や魅力あるアスリートを輩出しようというプロジェクトである。中学時代、部活と平行し、毎週土曜日にホッケーやレスリング、バレーボールやアーチェリーなど、可能性を求めてさまざまな競技に取り組んだ。だが、東福岡高校からの話をもらった瞬間、「サッカーに専念しよう」と、キッパリと育成プログラムを退会した。

 

目標が芽生えた高校時代、人間的に成長した大学時代

 

サッカーを始めた頃から夢の夢、遠い夢として憧れてきた「プロサッカー選手」が、一気に現実の目標となり、意気揚々と名門高校の扉を開けた。しかし、さすがにそんなに甘い世界ではなかった。中学時代、トレセンで直面した、クラブチームから来ている選手たちとのレベル差。その劣等感をより強く感じる日々が待っていた。それでも受け止め方はまるで違っていた。中学では、「こんな小さい地域で、こんなに差があるようじゃ、プロには絶対になれないだろうな」と諦めにも似た感情になったが、高校ではショックは受けつつも、「絶望はありませんでした。むしろ、『こんなうまい奴らとやれるんだ』っていう、うれしい気持ちのほうが強かった。だから、少しでも追いつきたくて練習もいっぱいしました」

 

3年間通してレギュラーとして試合に出続けられたわけではない。だが、高校2年生でトップチームの試合に出られるようになると、途中出場が多いながらも、限られた出場時間の中でFWとして求められる“得点”という形でしっかりと結果を残した。

 

その得点センスは明治大学で磨かれ、より大きく花開くことになる。最大の要因は、サッカー観が大きく変わったことにあると佐藤は自覚している。「それまでは自分が結果を残すだとか、自分のためにという考えが強かった」。特に高校時代は、途中出場という立場もあり、いかに自分が点を取るか、結果を残してスタメンを勝ち取るかに注力していた。だが、「大学に行ってからは、1試合を通して試合に出られるようになったこともありましたし、途中から出た時でも、『組織のため』とか、『チームのためにどんなことができるか』という考えに変わりました。その変化が、一番プレーに良い影響を及ぼしてくれたのかなと思います」

 

特に“これ”というきっかけがあったわけではないという。ただ、「一緒に生活したチームメイトやスタッフ、仲間たち全員が、本当に『チームのためにやる』という意識を高く持っていた」。そんな環境で過ごしていく中で、自然と感化されていった。また、大学1年生次から試合に出させてもらえたことも大きかった。「自分が出ることで、例えばそれまでずっと出ていた4年生の選手が出られなかったりする。自分がユニフォームを着ることで、その背番号をつけていた先輩の番号をもらうことになる。そういうことの重みをすごく感じました。だからこそ、『その先輩のために』とか『出られていない人の分も』という思いを強く持ってプレーするようになりました」。高校3年次に自身もレギュラー奪われるという悔しさを経験したからこそ、なおさらその重みを深く感じた。

 

そうした意識があるからこそ、大学では「毎日、毎日、少しずつでも成長できるように、とにかく一日一日の練習に全力を出し尽くしました」。それが、結果として全日本大学サッカー選手権大会得点王(2019年)、関東大学サッカーリーグ戦ベストイレブン(2020年)の活躍につながり、プロという夢の実現をもたらしたのだ。

 

「どうしたらチームのために貢献できるか」の意識、チームの代表として試合に出る責任感は、プロになった今も全く変わらない信条だ。ひたむきに泥臭く走り続ける。チームのために体を張って闘う。そんな曇りなき献身性に溢れたプレースタイルが、佐藤の最大の魅力と言えよう。

決して強いチームではなかったが、だからこそ、その中で誰よりもポテンシャルを輝かせ、強豪高のコーチの目に留まり、本格的な技術を身につけた。そして、大学で人間性を磨き、ここまできた。これまでのサッカー人生に一つの後悔もないと胸を張れる。だが、実はプロになった今だからこそ思う「たら」「れば」が一つだけあるという。「もし、戻れるのであれば、ボール扱いが一番うまくなると言われている10歳~12歳ぐらいの、いわゆる“ゴールデンエイジ”の時期に戻って、もっとボールタッチなど、技術の練習をしたいですね(笑)。もちろん、それ(技術)がなかったからこそ補えたものもあるのですが、ヴェルディでやっていると本当にそこは大事だなと思います」

 

一方で、ヴェルディに入ったことで技術的な部分は日々成長できているという実感もある。「今、最高に充実しています。大学の頃からヴェルディのサッカーが面白いと思っていたので、その中でサッカーをやれている喜びが本当に大きいです。そして、この中でやり続けたら、絶対にもっともっとサッカーが上手くなると確信しています。それに、小池純輝さんやカンペーさん(富澤清太郎)、柴さん(柴崎貴広)など、ヴェルディのベテラン選手はしっかりと真摯にサッカーと向き合っている先輩が多い。お手本になる素晴らしい選手ばかりなので、本当に良いチームに来たと思っています」。そう話す佐藤の笑顔には、一点の曇りもない。

 

早くもヴェルディが大好きになった。だからこそ、使命感に燃えている。「ヴェルディをJ1に昇格させる。それが今、一番やらなければいけないことだし、やりたいことです。それができるのは選手しかいない。自分もその一員なので、なんとしても果たしたいです」

 

「『観に来てよかったな』と思ってもらえたり、僕のプレーを見た人に少しでも元気やパワーを与えることができたり、そんな選手になりたい」

誰かのために──。そんな純心が突き動かしているからこそ、佐藤のプレーに人々は心惹かれるのだろう。

 

(了)