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2024.09.21 トップ

Player's Column #11 山見大登

Player's Column

「"逆境"を越えてきた人生。山見大登が見つけた"新境地"とは―。」

大阪生まれ、大阪育ち。子供の頃から試合を見に行っていた大好きなガンバ大阪でのプロサッカーキャリアを手放すのは、決して簡単な決断ではなかった。それでも、長きにわたる「東京ヴェルディに来てほしい」という城福浩監督からの熱心な誘いに心を動かされ、「監督に必要とされているところに行きたい」と、東京行きを選んだ。

だが、求められて来たものの、現実はポジションが保証されているような甘い環境ではなかった。初めて誘いを受けた時から城福ヴェルディのサッカーをチェックするようになり、ポジションなど関係ないチーム全体の守備の強度、攻守の切り替えのスピードが必要不可欠な戦いぶりに、「こういう部分が今の自分に足りていないものなんじゃないか」と思っていた。逆に言えば、だからこそ、その部分を成長させるための移籍決断だったとも言えるのだが、実際、自ら「課題」と認める守備の強度でのアジャストに時間がかかり、序盤は思うように出場機会を得られなかった。正直、「焦りもあった」という。開幕から5試合未勝利、その後も引き分けが続き、10試合で1勝7分2敗の結果でも、なかなかスターティングメンバーには割って入れず「どうやって信頼を勝ち取ればいいのかな?と考えていました」

 

転機となったのが第21節横浜F・マリノス戦だった。今季3試合目の先発起用となったなか、前半12分、山田楓喜のコーナーキックのクリアボールを受け、ペナルティエリア外から右足を豪快に振り抜き、見事な先制ゴールを突き刺した。さらに同22分、山田剛綺の右サイドからの折り返しにニアで合わせ、巧みに流し込んだ。記録上、この得点は相手ディフェンダーに当たってのゴールとなったためオウンゴールとなったが、実質的には、山田剛のクロスボールに対して全力でゴール前に詰めていたからこそ生まれた得点。指揮官が常に求める「クロスに対してニアゾーンに入れ」というタスクをきっちりと果たしたという意味でも、価値あるゴールだった。また、攻撃だけに限らず、課題とされてきた守備面でも成長を証明し、勝利に貢献。もともと、攻撃面での評価は高かっただけに、守備での信頼を得たことで、その後はほとんどの試合で先発出場を勝ち取っている。そのなかで、ここまでキャリアハイの7ゴールという結果を残せているのは、山見大登の実力ゆえだろう。

 

山見の最大の魅力は群を抜いたスピードと、それを生かした前向きなドリブルだ。自身も「(スピードは)生み出そうと思っても生み出せるものではない。元々もっているものだと思う」と、俊足を一番の武器としている。

その天賦の才について、本人は「僕が特別何かをしたということはないです」と飄々とした表情を見せる。だが一方で、「でも、親は、僕が赤ちゃんの時から何か(足が速くなるために)やっていたみたいです。それに、母親は足が速かったらしいです。僕は何も知らんけど」とも明かす。ドリブルについても、「小学校4年生までは(チームが)パス禁止やったんで、基本、練習はドリブルだけやった」という。そうした環境を含めた遺伝子が、山見の礎には根付いているのである。

 

成長とともにそのポテンシャルを発揮していったが、実は、高校進学を前に、人生最大のターニングポイントを迎えている。第一希望の公立高校の受験に落ちたのである。さばさばと当時を振り返る。

「ほんまは公立に行って、そこまで本格的にサッカーをやるつもりはなくて、ワイワイ楽しくやりたいなぁと思っていたんです。でも、私立校に行くとなった時に、親から『私学に行くんやったら、サッカーをちゃんとやってほしい』と言われたので、ある程度サッカー強くて、めっちゃきついわけでもない大阪学院大学高等学校に行きました。もしあの時、公立高校に受かっていたら、たぶん今、サッカーはやっていないですね」

 

両親の「サッカーを真剣にやってほしい」との言葉には、今となっては感謝しかない。実は、山見は中学生の時、クラブチームを辞めて中体連へと移った過去があり、その経歴を高校時代の監督は認識していた。だからこそ、「『こいつは辞めるかもしれん』みたいな感じで思われていたんだと思います。だから、僕は知らなかったんですが、親には『その精神を変える』みたいなことを言っていたらしく、実際、めっちゃ厳しく指導されました」

 

そして、高校3年生になり、進学を考える時期を迎えた。山見としては、尊敬する建築士・技術士である父親と同じ道を歩めればと、理数系の大学進学を考えていたが、サッカーの名門・関西学院大学への推薦入学を勧められ、「関学に行けるなら、関学行きます!」と即答。「大学に上がるタイミングで、『もうサッカーやらないです』と言っていた」のに加え、「大学に行くなら、関関同立(関西大学、関西学院大学、同志社大学、立命館大学の総称)がいいです」とは言っていたものの、実際に関西学院大学からの推薦を伝えられた時には、思わず「よう関学の推薦をとってきたな、って感じでしたよね」と白い歯を見せた。

 

こうして、どちらかといえば本人よりも周囲によってそのポテンシャルが引き出され、プロサッカー選手への道へと導かれてきただけに、「プロに入ってからの方がしんどいです」と率直な思いを口にする。

 

それでも、環境を新たにし、成績的にもキャリアハイを更新しながら、日々成長を感じられていることが、何よりの財産だ。

 

「ガンバの時は、『試合に出るためにどうこう』という課題が多かった。でも今は、試合に出ながら自分の改善しなければいけないところに直面し、それを身につけて成長できている。“課題”のレベルが1つ上がったなと感じています」

 

その中で、自身が痛感している喫緊の課題が「走り続けるという部分。それは、ただ素走りをするという意味ではなく、スプリントの強度も含めてのところです。柏レイソル戦でも60分ぐらいに足をつってしまっているので、そこは改善しないといけない」と痛感している。そのために、試合のためのコンディションを最優先にしながらも、能城裕哉コンディショニングコーチの助言をもとに、スプリントの強度を上げるためのトレーニングに積極的に取り組んでいる。

 

ヴェルディに来て、山見は大きく変わった。G大阪時代はいっさいやらなかった筋トレを始めた。能城コンディショニングコーチに相談し、試合後には重い筋トレにも取り組んでいる。それと並行して、チームメイトとのコミュニケーションも含め、あらゆる視点からサッカーに向き合う時間も増やした。

「ヴェルディに来ることを決めた時に、嫁にも言ったんです。『サッカーのために東京に来てるから、サッカー中心の生活をしたい』と。なので、こんなに長い時間クラブハウスにいることも、去年まではまったくなかった。それは、嫁さんが子供を見ていてくれているからできることなので、あらためて本当に感謝しています」。

 

あらためて自身の過去を振り返り、一時期、進学のタイミングで辞めようと考えたことはあったとはいえ、「別にサッカーを嫌いになったことはない」とキッパリ。「ただ、中学から高校に上がるタイミングであったり、高校から大学へ上がるタイミングで、『どうせプロにはなられへんやろうな』と思ったから、早めに見切りつけようと思ってただけなんで」と、当時の気持ちを掘り起こす。だからこそ、あらためて思う。「いま、こうして自分の好きなことを職業にできているので、その環境を一年でも長く続けて、結果を残し続けられるようにやっていければいい」

 

山見にとって、サッカーの最大の魅力は「点を取ること」。現在7得点。残り8試合とリーグ戦は最終盤を迎えるなか、「欲をいえば二桁にいきたい」と、さらなるゴール量産に向け目を輝かせる。

 

今季チームの最大目標は『J1残留』としつつも、実際は、そこで「良し」とするはずがない。「より高みへ」に限りはない。そのための原動力として、背番号『11』は絶対に必要不可欠のピースだ。

<深堀り!>

Q:人生初の東京での生活。楽しめていますか?

A:

職業上、いつまで東京にいられるかわからないので、東京におれる間に、一般的な観光とかで行けるところじゃなくて、例えば軽井沢とか御殿場とか、コアな場所に行ったりしています。もしかしたら、長く東京に住んでいる人からしたら、身近な観光地なのかもしれませんが、僕は大阪人なので、車で行っても大阪からでは遠いので、なんとなく行ってみたくなるんですよね。僕よりも、嫁が出かけたがるんですよ。

昨年末に子供が産まれたのですが、こういう(サッカー選手という特殊な)職業やからこそ、早く帰れる部分もあると思うし、休みもきちんとあるので、家族での時間を楽しめている部分はあると思います。子供は今、10ヶ月になるのですが、立ったりとか、僕たちの真似とかもするようになってきたんで、もう本当に可愛いくてたまらないです。

嫁からは、性格的に「ちゃんとしてる」って言われますし、僕も自分で家事は嫌いではないので、掃除も洗濯も、基本的なことは何でもします。

やれることはやる。僕の中では、それは当たり前のことですね。

(文 上岡真里江・スポーツライター/写真 近藤篤)

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