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2020.05.27

YOUTHFUL DAYS~日テレ・東京ヴェルディベレーザ編~【後編】

多くの日本女子代表選手が輩出してきた、日テレ・東京ヴェルディベレーザのアカデミー。メニーナ、そして2012年立ち上げのセリアス。所属選手のアカデミー時代を、秘蔵写真と思い出コメントで振り返ります。

 

■植木理子選手(2012〜16年)

日テレ・メニーナセリアス(2012~2014年)
日テレ・メニーナ(2015~2016年)

セリアス時代の全国制覇がやはり1番記憶に残っています。
1期生だったのですが、1年生の時は東京都予選で敗退、2年生の時は全国大会初戦敗退、3年で初優勝したことが1番の思い出です!

  

  

 

■黒沢彩乃選手(2013〜18年)
日テレ・メニーナセリアス(2013~2014年)
日テレ・メニーナ(2015~2018年)

  

  

中学2年生の冬まではセリアスでフィールドでプレーしていました。
ですが、現トップチームの沖田コーチに勧められてメニーナのキーパーに転向しました。その時は、正直ゴールを決められるキーパーなんてやりたくないと思っていました。
メニーナに初めてキーパーとして練習参加した時なんて、大雨なのに受けたこともないシュート練習が急に始まって、ドロドロ、ビショビショになって容赦ないシュートを受けるんです。さらに、その時は本当に寒くて、手と足の感覚がなくなって、「キーパーってこんなに辛いんだ。辞めたい」ってキーパー1日目で思ったくらいです。
でも、寺さん(現:寺谷アカデミーダイレクター)と一個上の田中桃子選手とやるドSなキーパー練習が楽しくて、キーパーが面白くなりました。また、やりたいです。

 

■菅野奏音選手(2013〜18年)

中学1年生の時は体格が小さく、交代で試合に出る時に、その時監督だった俊さん(鈴木俊 ちふれASエルフェン埼玉GM)が交代のところまでついてきてくれて背中を押されて試合に出ていました(笑)。
中学3年生で初めて10番のユニフォームを着た試合で、寺さんに怒られて泣いたのを覚えています。メニーナの10番の責任や重さを実感しました。
高校3年生では、Gothia Cupで優勝したのがいい思い出として残っています。

  

  

 

■松田紫野選手(2013〜18年)

忘れ物をたくさんしたので、その分たくさん走ったり、練習がすべて走りの日もありました。そんな中でもチーム全員で一生懸命乗り切りました。
自分はベンチ横で試合中1人で声出ししたこともありました。
高校3年生の時、Gothia Cup優勝と3年間で達成できなかった全国優勝ができたことはとても嬉しかったです。

  

  

 

■伊藤彩羅選手(2014〜19年)

中学1年生の時の藤枝遠征で、当時メニーナの監督だった俊さん(現:ちふれASエルフェン埼玉GM)に「センターバックをやってみないか」と言われたのがきっかけで、初めてセンターバックをやったことが印象に残っています。この経験が自分自身のプレーの幅を広げてくれました!
メニーナ時代は6年間で3人の素晴らしい監督とサッカーができて、とにかく楽しかったです。