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2020.05.12

YOUTHFUL DAYS~井上潮音編~

 

多くのプロサッカー選手を輩出する、東京ヴェルディのアカデミー。

現在所属する選手のアカデミー時代を、秘蔵写真と本人の思い出コメントで振り返ります。

 

今回は、井上潮音選手のアカデミー時代(2008~15年)です。

 

2010年

 

 

 

 

 

 

 

 

2013年

 

2014年

 

 

 

 

2015年

 

 

 

 

【井上潮音選手、アカデミー時代の思い出】

当時の所属チームの監督からの勧めで、親にも行くように言われてジュニアのセレクションを受けました。これまでも取材で言ってきましたが、当時のチームには仲の良い友達がたくさんいて、小学6年生までは同じチームでやりたかったんです。セクションに受かって通うようになってからは、ヴェルディにもすぐになじみましたけど、受かった時は行きたくなかったですね(笑)。

 

少し上の代から近い代まで、ヴェルディ特有の色々な先輩、例えば(中島)翔哉君や(高木)大輔君とかがいて、トップチームに昇格して活躍する姿を見てきたので、プロへの憧れはヴェルディに入ってからずっとありました。ジュニアの時はほぼ毎週のようにトップチームの試合を観に行っていて、(小林)祐希君の代のユースの試合を西が丘に観に行ったりしていました。その祐希君がプロになって味スタでプレーしているところを観て、あのようになりたいなって思いました。

 

アカデミー時代を振り返ると、僕の中で強烈な思い出があります。高校1年の時のJユースの時の話です。

 

静岡県に前泊で遠征してバスで移動したんですが、その時に準備担当だった僕も含めた1年生がボールをバスに積み忘れたんです。それに気づいたのは、試合のウォーミングアップが始まるタイミングでした。遠征だからどうしようもなくて、相手チームに頼んでボールを2個だけ借りました。GKは1個使わないとアップにならないから、フィールドプレーヤー全員で1個。1個じゃまともなアップができないですよね…。結局、試合も負けちゃいました。

 

プレミアリーグが残っていましたが、3年生にとっては最後の全国大会。グループリーグの最終戦で、引き分け以上で決勝トーナメントに突破できたんです。当然、連帯責任で1年生全員で坊主になりました。でも、それだけでは済まなくて、翌週の休み明けには3年生まで含めて全員で階段(巨人への道/京王よみうりランド駅付近からよみうりランドに向かう山を登る283段に及ぶ急こう配の階段。トップチームからアカデミーまでヴェルディのトレーニングの定番)に行きました。普通は3本くらいなのに、ボールを忘れた罰走で10本やりました。当然、罪のない3年生はブチギレて(安西)幸輝君は叫びながら走ってました。

 

バスの後部座席を開けて、ボールがないことが分かった瞬間の気持ちは今でも忘れられません。最初、俺たち1年生は、冨樫さん(剛一当時ユース監督)に言うかも迷ったんです。隠せるわけないし、言わないわけにいかないのに(笑)。僕はスタメンで試合に出たんですが、もう最後まで心ここにあらずでした…。

 

当時、練習が終わった後に食堂で仲間たちとご飯を食べるのがすごく好きだったんです。夕方にヴェルディグラウンドに行って練習して、食堂で食事して帰ったらすぐに寝てしまうので、1日の中で食堂でご飯を食べる時間が一番の楽しみでした。週末も平日もずっとチームメイトと一緒にいたから、学校よりもチームの方が濃密でしたね。

 

 

井上潮音選手 選手ページ